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基本情報
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| 住所 |
大阪府大阪市此花区伝法6-4-4 |
五畿八道 令制国 |
畿内 摂津 |
| アクセス |
阪神なんば線伝法 徒歩6分 |
| 御朱印授与時間 |
|
| 電話番号 |
0664612845 |
| FAX番号 |
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| 公式サイトURL |
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| 御本尊 |
題目宝塔・釈迦多宝二仏 |
| 宗派 |
日蓮宗 |
| 創建・建立 |
寛永(1624~1645)年間 |
| 由来 |
正蓮寺略縁起 寛永二年(一六二五年)篤信の武家、甲賀谷又左工門が、毎夜海中にて光りを発するものを見つけ細を入れたところ、お木像が上って来たので、邸内にお祀りしていました。 たまたま京都から来れた修業僧、唯性院日泉上人がこれを御覧になり、間違いなく日蓮大聖人の御尊像であることを認められました。そこで、日泉上人を開山とし又左エ門を開基として、大方の協力を得て建てた草庵が、今の正蓮寺のおこりであります。寺号の正蓮寺は、甲賀谷又左エ門の予修、正蓮日宝禅定門より、また山号の海照山は、御尊像が海を照した事から名付けられたものであります。 大阪の代表寺院二十五ヶ寺の内に数えられた正蓮寺は、惟うに権門の庇護に依り建立された寺でなく、土着の一無名人の発願にて創立された庶民的な寺院であります。創建以来伝燈絶えずして信徒参集し、寺門興隆して現在は第二十六世を踏襲するに至っております。
賀谷文左衛門が日寶と法名して創立。唯性院日泉を請じて開基。 1689(元禄2)年3月に7世日解が再建。 1832(天保3)年11月16日夜に焼失。17世日逞が再建。 1859(安政6)年11月5日の大地震で崩壊。 1874(明治7)年12月、23世顯妙が檀家の協力で再建。 |
| 神社・お寺情報 |
1721(享保6)年から始まった「川施餓鬼」は2004(平成16)年に大阪市指定無形民俗文化財に指定。 日本流通革命を誇るダイエー中内CEOが眠る。
伝法の川施餓鬼 享保六年(一七二一年)、当山第七世、寂行院日解上人は、日蓮大聖人が海中にて衆生済度せられた功徳を継承せんとて、川供養の行事をはじめられたのが、いまの伝法の川施餓鬼であります。創始以来、正連寺川に棚を作り色々な供物をして、有無両緑の万霊を供養して参りました。摂津名所図絵に記されている様に、数百の船団で参拝者が群集いたしました。地元の伝法・高見・四貫島の各家では、遠近より親類縁者を招いて精霊をお祀りし、法要の後は各船団は棚を片付けて舟遊びに興じてお祭り騒ぎになるのが常でした。陸では数百の露店が賑わい、名物の枝豆・竹ごま・焼鳥屋などが繁昌し、全く天神祭をしのぐ程の盛大な大阪の夏を締めくくる行事でした。夕刻、船団も引き揚げ露店も終る頃には涼風も吹く時期でもあり、"暑い暑いは天神祭、あついあついも施餓鬼まで"と、今日まで夏の風物詩として語り継がれ親しまれて参りました。古来より仏法經典の渡来した最初の浜とも云われる伝法の地であります。仏事が盛大に行なわれて来たのも当然のことと思われます。昭和四十六年には、川施餓鬼創始二百五十年の記年大法要を厳修いたしました。殊に現在は、区内に奉賛会が組織され、更には浪速全般に亘る参拝会の活躍は、誠に有難いことであります。ただ、昭和四十二年頃より正蓮寺川の汚濁が甚だしくなった為、川渡御は新淀川に移すことになりました。 平成十六年度に「正蓮寺の川施餓鬼」として大阪市指定無形民俗文化財に指定されました。 |
| 例祭日 |
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| 神紋・寺紋 |
未登録
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| 更新情報 |
【
最終
更新者】ととるし
【
最終
更新日時】2026/01/20 00:02:38
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