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みんなの参拝記録
参拝日:2024年9月10日 00:00
★★★★★ 参拝日:2024年5月19日 00:00
直書きしてもらいました。
★ 参拝日:2023年12月3日 00:00
★★★ 参拝日:2021年10月9日 12:39
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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 大阪府大阪市中央区道頓堀東1-5-13 |
五畿八道 令制国 |
畿内 摂津 |
アクセス | 大阪千日前線日本橋 徒歩4分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0662130330 |
FAX番号 | |
公式サイトURL | http://www.eva.hi-ho.ne.jp/reiho-ikeda/ |
御本尊 | 釈迦牟尼世尊、日蓮上人、妙見大菩薩、浄行菩薩、鬼子母尊神、弁才天、清正公大神祇、秋山白雲霊神、法相日前大菩薩 |
宗派 | 日蓮宗 |
創建・建立 | 寛保二年(西暦1742年) |
由来 | 蓮登山自安寺は徳川中期寛保二年(西暦1742年)に千日前、刑場横の地に日蓮宗の門跡寺院(大本山本圀寺の末寺)として、慈光院日充上人(本圀寺歴代上人)により創建され、境内に本堂・妙見堂・鬼子母神堂・浄行菩薩堂・清正公神祇堂・秋山白雲霊神堂・法相日前大菩薩堂・絵馬堂・鎮守堂・三光堂・位牌堂・鐘楼堂および能勢妙見遥拝所を構えていました。 その賑わいは「江戸浪花百景」の一つとして数えられ、その風景は「自安寺・妙見宮・朝参の図」として、長谷川貞信筆の錦絵となり、現在も保存されています。また、「自安寺妙見堂午日詣」と題し、自安寺晩鐘の図として「江南八景」の一つにも数えられていました。 「千日前の妙見さん」の名前で親しまれ、とくにその縁日の「午の日」には、現在の湊町付近から日本一付近まで「夜店」が出店して、千日前一帯は賑わいました。 また、この「夜店」は「大阪の三夜店」の一つに数えられ、昭和初期まで続きました。 明治三年(西暦1870年)、千日墓と刑場廃止後は千日前歓楽街となり、その真ん中に自安寺は位置するようになりました。 ことに明治十七年(西暦1884年)以降、南地五花街(宗右衛門町・九郎衛門町・坂町・櫓町・難波新地)が華やいだ頃からは妙見さんも賑わい、諸堂の提燈にも花柳界の人々の名前がたくさん連なっていました。 大阪ミナミの繁栄と共に、近隣の人々が毎日仕事の前後に「無病息災」・「妓芸上達」・「商売繁盛」など、それぞれの願いをこめてお詣りされ、「千日前の妙見さん」として日夜賑わい、その当時は一日二十四時間中門があいており、いつでも参詣できました。 その間、五度にわたる火災により、境内は狭小となってゆきますが法燈は絶えることなく、法華経の広宣流布の場として栄えました。 ことに日蓮上人像と妙見大菩薩像は、ときの住職により、運び出されて火災の難をのがれ、現在も御威光あらたかなものがあります。 その後、昭和四十二年(西暦1967年)大阪市都市計画により、現在地(旧二ツ井戸)へ境内を移転し、その容貌もビル建築へと変遷してゆきます。 しかし、いまでも一歩境内へはいると、そこには昔変わらぬ「妙見さま」がまっておられます。 (公式サイトの由緒より) |
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神紋・寺紋 | ![]() |
更新情報 | 【
最終
更新者】ととるし 【 最終 更新日時】2025/04/22 09:12:32 |