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基本情報
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住所 |
大阪府八尾市久宝寺3-4-25 |
五畿八道 令制国 |
畿内 河内 |
アクセス |
おおさか東線久宝寺 徒歩8分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
0729912156 |
FAX番号 |
|
公式サイトURL |
|
御本尊 |
十一面観音菩薩 |
宗派 |
融通念仏宗 |
創建・建立 |
暦王4年(1341) |
由来 |
【念佛寺】 当寺は龍興山金剛乗院念佛寺と云い、融通念仏宗に属します。暦応四年(一三四一)辛己八月、僧盤龍上人によって創建されたのである。 本堂落慶に融通念仏宗中興上人法明和尚の霊跡があり宗門きっての古刹である。 もともと、この寺院は久宝寺の末院で、念仏勧進聖堂場として栄えていた。のち聖僧の盤龍が今の地域に定めて本堂を建てたと伝えられている。 【久宝寺と観音さん】 久宝寺と云うお寺は、昔聖徳太子が守屋誅戮の祈願所として建立された四十六仏閣中の二十二番目の寺である。許麻神社の付近にあり、七大伽藍の大寺で、当時は、河内国の仏法の中心であったとさえ伝えられている。 その久宝寺が、松永弾正の兵乱や慶長の兵火に罹り、惜しくも本堂などすべてが灰となった。その後、久宝寺は再びそこに建たなかった。 久宝寺が戦災で灰になる時、本尊の十一面観音像を寺僧が助け出し背負って、伊賀の国へおちていった。一時は、伊賀国の下津にあり、その後、伊賀、近江の国々と流転されるに、彼の地に旅する河内から来た旅人の夢まくらに立たれ、「河州久宝寺は我が里なり」とお告げになったと伝えられている。 時代が過ぎて、やがて、何とか久宝寺村へ迎えることができた。一時は村の民家の軒先で祀られていた。そして許麻神社の境内に小堂が建てられた。これが久宝寺観音院である。堂守僧はよくこの宮寺を守り、人々の信仰を集めていた。明治になって、神仏分離令で、久宝寺観音院は遂に廃寺の運命となってしまった。又もや本尊観音像は、布施高井田の長栄寺にあずけられた。この時は久宝寺村から観音さんの 預け賃を、年貢米とし長栄寺に支払われていた。 このように放浪ばかりを続けていた観音さんです。明治も末の頃、村に流病が出た。再び観音さんの夢を見る人がたくさんあらわれて、ぜひとも村でお祀りしなければならないということになり、明治四十二年二月二十三日に、昔の久宝寺の末院と伝えられている、当念佛寺へお迎えして今日に至っています。もともとは、久宝寺村の名前の発祥のもととなる久宝寺のご本尊十一面観音菩薩です。久宝寺村のシンボルです。 |
神社・お寺情報 |
河内西国霊場 第二番札所 宮司不在の時用に、書き置きも用意してくれている。 |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
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更新情報 |
【
最終
更新者】ととるし
【
最終
更新日時】2025/05/25 16:43:47
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