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埼玉県の神社の御朱印展をやっていて、行きたくても行けなかった神社の御朱印をたくさん観ることができたので良かったです。
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基本情報
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稲田姫命(いなだひめのみこと)
大己貴命(おおなむちのみこと)
大和朝廷の威光が東方に及ぶにつれ当社の役割も重要なものになりました。地政上からも、見沼により東西南北へ交通の便が良く、土地も肥沃な事から東国の基をなしたと思われます。
日本武尊は当神社に御参拝し東夷鎮定の祈願をなされ、成務天皇の御代には出雲族の兄多毛比命が朝命により武蔵国を造し、千二百年前の聖武天皇の御代には武蔵一宮と定められました。
武家時代になっては鎌倉、足利、北条、徳川氏等も相継いで尊仰し祭祀されていました。
明治の御代に至っては当社を武蔵国の鎮守勅祭の社と御定めになり勅書を賜わりました。そして、明治天皇は当神社に行幸し、この時の御行列は非常に荘厳で京都からの御遷都と同様の御盛儀であったそうです。その模様を謹写した山田衛居筆の氷川神社行幸絵巻物は今も当社の社宝として大切に保存されています。
○「蛇の池」の湧水が発祥の地とされます。
○境内前の鳥居が「三の鳥居」、「二の鳥居」迄も距離が有りますが、「一の鳥居」は更に遠いので車で行くのがお勧め。神社方向の一方通行となっています。

【 最終 更新日時】2023/01/04 17:22:27