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基本情報
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豊宇気毘賣神(とようけひめのかみ)
素盞嗚尊(すさのおのみこと)
「調宮縁起」によれば、第9代開化天皇の乙酉3月に所祭奉幣の社として創建され、第10代崇神天皇の勅命により、伊勢神宮斎主の倭姫命が参向し、清らかな当地を選び、神宮に献上する調物を納める御倉を建て、武総野(武蔵、上総・下総・安房、上野・下野)の初穂米・調の集納倉運搬所と定められた。
倭姫命の命により調物の運搬の妨げとなる鳥居や門が取り払われたと伝えられている。
社名の「調」が「月」と同じ読みから、月待信仰と結びつき、江戸時代には「月読社」とも呼ばれていたようである。月神の使いとされる兎の彫刻が旧本殿や現在の社殿に、狛犬の代わりに兎の石像が境内入口両側に、所々に兎が配されている。
調神社の文化財
調神社旧本殿(建造物)
昭和五十三年三月二十九日市指定
一間社流造り、屋根は銅板葺きである。向拝の軒は唐破風で、身舎桁行一・八〇メートル、梁間一・五〇メートル、これに奥行一・三〇メートルの向拝が付く。棟札により、享保十八年(一七三三)の建立であることが知られる。
扇面三十六歌仙絵(絵画)
昭和五十三年三月二十九日市指定
紙本墨書で、料紙は金地扇面であり、三六面中一八面が現存している。寛文九年(一六六九)、将軍安泰などのため、近習四名が奉納したものである。
神輿鳳凰(工芸品)
昭和五十三年三月二十九日市指定
神輿の頂につけられていた鳳凰で、鍍金した銅板で組み立てられている。高さ四ハ・五センチメートル、翼の広がり三六・五センチメートル、全体的に簡素であり、室町時代の作である。
調神社扁額(書跡)
昭和五十三年三月二十九日市指定
ケヤキ材で、たて九三・ニセンチメートル、横五七・一センチメートル。正面に楷書で「調神社」とある。金箔が押され、享和二年(一八〇三)に松平定信によって書かれたものである。
調宮縁起(古文書)
昭和五十三年三月二十九日市指定
紙本墨書。寛文八年(一六六八)九月、玉蔵院十二世寂堂が撰した。式内社である調神社の創建、祭神をはじめ、中世末期の荒廃、徳川家光の社領寄進等が記されている。
調神社の境内林(天然記念物)
昭和四十五年三月十日市指定
ケヤキやムクノキの大木を主とする、落葉広葉樹の古木林である。
昭和六十年十月
浦和市教育委員会
調神社

【 最終 更新日時】2019/05/08 02:33:46