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参拝日:2021年9月25日 16:03
鳥居の右側の道を入ると手水舎付近に数台停められるスペースがありますが、その先にアスファルトの広い駐車場があります。9月末でいくらか欅が紅葉し始めたというのにまだセミ(つくつくほうし)が沢山鳴いていました。本日参拝した兼務社と併せて御朱印を頂きました。
★★★★ 参拝日:2020年7月26日 18:28
★★★★★ 参拝日:2018年5月3日 00:00
宮司様は多忙のようでしたが、運がよくお会いする事ができました。 優しく御朱印ですか?と聞いてくださいました。
参拝日:2024年9月21日 13:07
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住所 | 埼玉県川越市山田340 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス | 東武東上本線川越市 徒歩44分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 049-222-5224 |
FAX番号 | |
公式サイトURL | http://www.yamadahatiman.org/ |
御祭神 | 誉田別尊(応神天皇)
比賣神(玉依日女命) 息長帯姫命(神功皇后) 天津日高穂々出見尊 |
創建・建立 | |
旧社格 | 村社 |
由来 | ■ご由緒
当社は、往昔旧山田庄府川郷等十ヶ村(志垂・宿粒・石田・石田本郷・谷中・網代・菅間・向小 久保・高畑・角泉)の総鎮守であったが、江戸中期以降、各地で社殿が創立されたため、志垂・府 川二村の鎮守となる。口伝によれば、当社は、日本武尊が東国平定の時に剣を祀ったのが始まりと伝え、昔境内より出土した鉄剣を社宝としている。この頃は八幡様と呼ばずに、神様と言っていたが、後醍醐天皇の時に宗長親王が都から逃げ延びて来られ、京の石清水八幡宮を合祀してから八幡様になったと伝えている。 当社社家は「原摂津」と称し、摂津より隠棲、志を垂れるとして、地名を『志垂』とした。天長年間(824~834)摂津に大洪水ありし時使者を遣ったとの口碑あり、原家はその頃の移住と考えられる。 【山田八幡神社ホームページより】 新編武藏風土記稿 入間郡府川村 八幡社 祭神ハ譽田別命ナリ 神體ハ束帶銅像長一寸 鎭座ノ年代詳ナラス 社傳ニ康永三年再興アリシ由ヲ云 又土人ノ說ニ昔ハイト全盛ナル社ニシテ近鄕志垂宿粒網代谷中石田同本鄕菅閒向小久保比企郡角泉當村總テ十村ノ鎭守ナリシカ 中古各村ニ鎭守ヲ勸請セシヨリ今ハ唯當村ト志垂村ノ二村鎭守トセリト云 又前ニ出セル天正五年ノ文書ニ神田二貫文ト載タリ 其頃社領モアリシコト知ルヘシ 末社 天神社 稻荷社 神職原攝津 吉田家ノ配下ナリ |
神社・お寺情報 | 境内社に、稲荷社、白山社、御嶽社がある。稲荷社の中には二体の狐像が安置されている。
市内石田本郷の稲荷神社・天神社・芳野神社、中福の稲荷神社、今成の熊野神社、鹿飼の神明神社、神明町の神明神社、小ヶ谷の白山神社、鴨田と山田の八幡神社、小室の氷川神社、石田の藤宮神社、今福の八雲神社、福田の赤城神社を兼務している。 また方位、家相鑑定もやっています。 |
例祭日 | 元朝祭 :1月1日 春季例祭:4月20日 秋季例祭:9月14日 新嘗祭 :12月5日 |
神紋・寺紋 | 丸に笹竜胆 |
更新情報 | 【
最終
更新者】thonglor17 【 最終 更新日時】2024/09/23 10:05:59 |