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基本情報
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住所 |
埼玉県川越市仲町10-11 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
西武新宿線本川越 徒歩11分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
049-224-0551 氷川神社 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
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創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
境内掲示板
鴉山稲荷神社について
歴史
社記によると、長禄元年(一四五七)上杉持朝の命によって川越城築城の任にあたった大田道真が、城の櫓より四方を眺めたところ南西を森がさえぎり、富士山が眺望出来ないために、これを伐採させたところ森の中に石祠があり、「源家勝平、怨敵退散、子孫長栄、大願成就、守護、承安三癸巳天四月十七日願主河島武盛」と記した祈願文が発見された。道真はこれを築城の吉兆としてここに仮宮を建立した。以来、代々藩主の信仰厚く、松平斉典(なりつね)の養子斉省(なりさだ)の奉納「鴉山祠」の額が現存している。
当社は塚上にあり、鴉が群棲していたことにより鴉山稲荷神社と称すると云う。また、古くは周囲に塚が多く、中でも鴉山が大きいので、川越七社の第一位してその名は「親塚稲荷」とも云われる。
また、町内では「お稲荷さん」とも呼ばれ、親しみ大切に信仰され、今も尚、町民全体の文化遺産として伝わり引き継がれている。
平成二十年四月吉日
鴉山神社修復実行委委員会
新編武藏風土記稿
入間郡河越城并城下町志義町
稻荷社 土俗ニ烏山親塚稻荷ト號ス文正三年四月十七日別當正國院清須カエラヒシ縁起ヲ閲ルニ文正元年太田資清入道道眞川越城ヲ築キ矢倉ヲ作ラントシテ足代ヲカケ自ラ登リテ四方ヲノソミシカ茫々タル原野ニシテ目ニササユル陰モナカリシニタヽ一叢ノ森アリテ富嶽ノ望ヲサヽエタルヲウラミ人ヲシテ其森樹ヲ剪取ラシムコレ當社ノ地域ナリ然ルニ森ノ中ニ石ノ小祠アリテ内ニ小筒アリ首尾ノ口ニ丸キ鑽アリコレ守護ノ神符ナトヲ納ルヽモノニヤアラント携來リテ道眞ニ示ス道眞コレヲトリテ首尾ノ金具ヲ去リテ見ルニ筒ハ竹ニテ造リタルモノニテ上ヲツヽミタル錦大抵朽ハテヽ金具ノ下ニワツカノコレリサテ筒ニ題シテ願主河嶋武盛トアリ内ニ蔵メシ書アリ其文ニ
源家勝平怨敵退散子孫長榮大願成就守護
承安三癸巳天四月十七日
五社大明神 神主 神谷土佐守
阿波禮阿那於茂志呂阿那多能志阿佐憩劔憩住
素盞嗚尊 祇園大明神
誉田別尊 八幡大神宮
倉稻魂尊 稻荷大明神
天兒屋根尊 春日大明神
猿田彦尊 白髭大明神
宮川ノ清キ流ニイサミシテ思ヒシコトノ叶ハヌハナシ 大麻ノハラヒニアヘハ身ノトカモ悪魔不浄モ拂フ追風 千早振アメハ木來ノ葉ヲワケテアラヌハ人ノ命ナリケリ 右ノ書ヲ道眞披見シテコレ當城成就ノ吉兆ナリト大ニ悦ビ、城普請ノ間ハ城ヨリ坤ノ方ヘ假ノ宮ヲカマヘテコヽニ勧請シツネハ神酒ヲ供シテ信心淺カラス營城事畢テ後道眞オモヘリコノ神全ク富士山ヲ見ントテ森ノ木ヲ伐シユヘニ見出シタルヲ以五社ノ明神ヲ拜ス且富士ハ三國ニ跨レル大山ナリ當三國第一ノ利ヲ得ンコト必セリトテ彌崇信セシトナリ此説イフカシキコトモアレト姑ク社傳ノマヽヲ記ス
末社 金毘羅社
別當 常學院
當山修験ナリ社傳ヲ尋ルニ當社勧請ノ始ニ當所ノ城主太田道眞カ子僧正國院清須ヲ別當職トス當社ノ縁起ハ其頃清須カ記シ置ル所ト云其後イツノ頃ヨリカ社家ヲ置テ神事ヲ司ラシメシカ天和年中社家三宅主馬家産衰ヘテ困窮大方ナラス茲ニ於テ吉見領ヘ移リ住セシ故神職ハ廢セリ其後再ヒ別當ノ僧ヲオク是今ノ常學院ノ祖ナリト云
境内碑
當社は河越七社の内にして祭神五座あり 昔時塚大きく樹茂りて鴉多●●
●●を宿しつれば鴉山稲荷と稱し亦親塚稻荷とも●ふ 河越の古社●●社
説曰長祿元年上杉持朝の命により太田道真及道灌が河越城築造の際その城
西に方りて繁茂せる森あ●展望に障りありしかば家臣をして伐らしめしに
塚上に一小祠ありて内より承安三年四月に河嶋武盛が納めける祈願の經筒
を発見せり道真は之を見て築城の吉瑞なりとて此處に假宮を建てゝ祭●文
正元年道真自ら武運長久 怨敵退散 諸願成就 子孫繁昌 多民自安 五
穀豐饒お祈願文を書して内陣に納め 而して社領を賜はりしことあり●神
徳靈驗あり天正年間河越城主酒井河内守重忠候厚く之を崇敬し特に神事を
修められたく 昔時より忠義町の産土神として人々の信仰篤●●●に●●
御大典記念として社務所新築を計畫し昭和六年三月起工し同年九月其落成
を見るに至る 奇緣にて其工事中境内より出土せる二十有餘個の經塚石を
発見せり一石ごとに法華經を浄寫しあり 想ふに在昔信者が祈願供養の爲
め此の靈場を相して埋めしものにして此の石の出土發見は厚信の郷土史料
として珍重すべきものなり 今その一を神殿に納め他は參考資料として一
個づゝ埼玉郷土會川越圖書館及學校に寄贈し殘餘は再び地中に埋藏せり
社務所造營功成るの時に當り社史の大要を勒して記念とす
川越市史編纂委員岸傳平撰文 ●堂書 石辰刻
昭和六年九月 |
神社・お寺情報 |
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例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2024/09/08 17:40:36
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