みんなの御朱印
自分の御朱印
まだ御朱印が登録されていません
みんなの参拝記録
0
240
自分の参拝記録
まだ参拝記録が登録されていません
みんなの動画
自分の動画
まだ動画が登録されていません
基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
| 住所 |
埼玉県深谷市沓掛303-1 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
| アクセス |
JR高崎線岡部 徒歩23分 |
| 御朱印授与時間 |
|
| 電話番号 |
0495-24-1124 |
| FAX番号 |
|
| 公式サイトURL |
|
| 御祭神 |
伊弉諾命、伊弉冉命、速国男命、事別男命 |
| 創建・建立 |
|
| 旧社格 |
旧村社 |
| 由来 |
沓掛熊野大神社再建記念碑
碑文
幾星霜を地域住民の心の支柱として此処に崇められて来たる熊野大神社は、伊弉諾命、伊弉冉命、速国男命、事別男命の四柱を祭神として祀られてある由、新編武蔵風土記稿に記述されてある。
遥か上代には現妙権寺の寺領として維持管理されていたが、その後、明治五年(一八七二)の神仏分離令に依り、同寺領を離れ、沓掛の鎮守氏神として崇拝され、往時の先人達が四季折々の祭事を司って来た。其の祭りを通し集落社会の連帯感を深め、一つの精神文化を築いて来たのである。
時は明治八年(一八七五)二月、志戸川のほとりの車屋より発生した火災の類焼を被り、神殿、拝殿悉く消失し、更に妙権寺の本堂、庫裡をも延焼し、他に民家二戸を焼き尽くした。当時、沓掛の大火と言われた痛ましき歴史を此処に残したのである。
其の後、明治中期に先代氏子中の努力により再建復興された社殿も、悠久百有余年の歳月と風雪に耐えて来たりしが、其の老朽化著しく、今や倒壊寸前の様相であった。斯かる姿を前にして敬神崇祖の念に燃え、沓掛氏子中此処に神殿建設の積立基金を成して来た。此れと共に当熊野神社保有せる基本財産等を併せ、総工費金阡参百有余万円を投じ、此処に社殿再建建設委員会を設立発足させた次第である。
建設に当りては其の技術卓越した名工と言われる、深谷市吉田建設有限会社と、全ての建築契約を取り交わし、当年三月に着工した。
工事進行と共に、氏子の皆様には神域の環境整備その他に御協力頂き、建設委員より厚く御礼申し上げます。其れと相俟って、当社宮崎神官に依る本殿遷座式の儀式も恭しく執り行なわれ、沓掛氏子中永年の夢であった熊野大神社社殿の落成竣工が此処に成りたる事を区民挙げてお慶び申し上げる次第です。此れからも氏子中の前途に穏やかな至福あらん事を願うと共に、郷土沓掛の永久の繁栄を祈念し、此処にこの碑を建立する次第である。
平成十五年十月吉日
熊野大神社
氏子一同撰文 |
| 神社・お寺情報 |
|
| 例祭日 |
|
| 神紋・寺紋 |
未登録
|
| 更新情報 |
【
最終
更新者】zx14r
【
最終
更新日時】2025/11/01 12:03:46
|
※神社やお寺など日本文化の専門企業が算出している日本唯一のオリジナルデータですので、ご利用になりたい法人様やマスコミの方々は
こちらよりお気軽にご相談ください。
近くの神社・お寺
近くのお城
神社・お寺検索
※は必須です
※「神社・お寺両方」を選ぶと、一度に全て検索ができ大変便利です。プレミアム会員限定の機能となります。登録は
こちら。