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★★★★★ 参拝日:2022年10月6日 00:00
奈良県奈良市にある世界遺産満載のパラダイス、興福寺です。
参拝日:2017年12月4日 00:00
★★★★★ 参拝日:2014年8月15日 00:00
参拝日:2002年7月17日 00:00
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住所 | 奈良県奈良市登大路町48 |
五畿八道 令制国 |
畿内 大和 |
アクセス | 近鉄奈良線近鉄奈良 徒歩5分 |
御朱印授与時間 | 9:00 ~ 17:00(最終受付は16:30) |
電話番号 | 0742-22-7755 |
FAX番号 | 0742-23-1971 |
公式サイトURL | http:/www.kohfukuji.com/ |
御本尊 | 釈迦如来 |
宗派 | 法相宗 |
創建・建立 | 天智天皇8年(669年) |
由来 | 法相宗の大本山である興福寺。その前身である「山階寺(やましなでら)」は、天智8年(669)に藤原鎌足が重い病気を患った際に、夫人である鏡女王が夫の回復を祈願して、釈迦三尊や四天王などの諸仏を安置するために造営したものと伝えられており、この名称は後世においても 興福寺の別称として使われています。そして、壬申の乱(672)の後、飛鳥に都が戻った際に、山階寺も移され、その地名を取って「厩坂寺(うまやさかでら)」と名付けられます。さらに、和銅3年(710)、平城遷都の際、藤原不比等の計画によって移されるとともに、「興福寺」と名付けられました。
その後は、天皇や皇后、また藤原氏の手によって次々に堂塔が建てられ整備が進められ、奈良時代には四大寺、平安時代には七大寺の一つに数えられ、特に摂関家・藤原北家との関係が深かったために手厚く保護され、寺勢はますますさかんになります。 平安時代には春日社の実権を手中におさめ、大和国を領するほどになり、また、鎌倉幕府・室町幕府は大和国に守護を置かず、興福寺がその任に当たりました。文禄4年(1595)の検地では「春日社興福寺」合体の知行として2万1千余石と定められ、徳川政権下においてもその面目は保たれました。 その後、明治政府による神仏分離令や社寺領上知令に伴う廃仏毀釈などにより興福寺は苦境に立たされましたが、寺僧や有縁の人々の努力で復興が進展し、新たな興福寺としてその歴史を刻み続けています。 |
神社・お寺情報 | 法相宗大本山
札所:西国三十三所・第9番(南円堂) 南都七大寺・第2番 西国薬師四十九霊場・第4番(東金堂) 神仏霊場巡拝の道・第16番(奈良第3番) 大和北部八十八ヶ所霊場・第62番(菩提院) |
例祭日 | 1月1日:修正堂参 1月2日:春日社参式 2月節分の日:追儺会 2月3日(旧暦):解脱上人忌 2月15日:涅槃会 3月5日:三蔵会 3月春分の日:無縁仏供養 4月8日:仏生会 4月17日:放生会 4月25日:文殊会 5月第3金・土曜日:薪御能 7月7日:弁才天供 8月13日~15日:羅漢供 9月秋分の日:無縁仏供養 10月第1土曜日:塔影能 10月17日:大般若経転読会 11月13日:慈恩会 12月31日:歳末読経 12月31日:除夜の鐘 |
神紋・寺紋 | 未登録 |
更新情報 | 【
最終
更新者】優雅 【 最終 更新日時】2021/11/15 03:09:12 |