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★★★★★ 参拝日:2021年1月16日 13:58
江の島はエスカーと言う有料のエスカレーターで移動できますよ。 便利に作られているね。 私はお金がないので歩きです😅
参拝日:2016年6月4日 00:00
★★★★ 参拝日:2024年3月30日 07:50
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住所 | 神奈川県藤沢市江の島2ー3ー8 |
五畿八道 令制国 |
|
アクセス | 小田急江ノ島線片瀬江ノ島 徒歩13分 |
御朱印授与時間 | 8:30~17:00 |
電話番号 | 0466-22-4020 |
FAX番号 | 0466-22-7928 |
公式サイトURL | http://www.enoshimajinja.or.jp/ |
御祭神 | 奥津宮:多紀理比賣命(たぎりひめのみこと) 中津宮:市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと) 辺津宮:田寸津比賣命(たぎつひめのみこと) |
創建・建立 | 欽明天皇13年(西暦552年) |
旧社格 | |
由来 | 江の島湧出については諸説ありますが、『江島縁起』では、欽明天皇13年(552年)4月12日の夜から23日の朝まで大地が震動し、天女が十五童子を従えて現れ、江の島を造ったと表現しています。
このことを社伝では、「欽明天皇の御宇 神宣により詔して宮を島南の竜穴に建てられ一歳二度の祭祀この時に始まる」と記しており、欽明天皇の勅命で、島の洞窟(御窟おんいわや・現在の岩屋)に神様を祀ったのが、江島神社のはじまりであると伝えています。 欽明天皇は、聖徳太子よりも少し前の時代の天皇で、この頃、日本では仏教が公伝され、日本固有の神道と外来の仏教が共に大事にされていました。 その後、文武天皇4年(700年)に、役小角(えんのおづぬという)修験者が、江の島の御窟に参籠して神感を受け、修験の霊場を開きました。 これに続き、泰澄(たいちょう)、道智(どうち)、弘法(こうぼう)、安然(あんねん)、日蓮(にちれん) などの名僧が、御窟で次々に行を練り、高いご神徳を仰いだと伝えられています。 そして、弘仁5年(814年)に空海が岩屋本宮を、仁寿3年(853年)に慈覚大師が上之宮(中津宮)を創建。 時を経て、建永元年(1206年)に慈覚上人良真が源實朝に願って下之宮(辺津宮)を創建しました。 鎌倉時代には、岩屋に参籠して戦勝祈願を行った源頼朝が八臂弁財天と鳥居を奉納。 また後宇多天皇(ごうだてんのう)は、蒙古軍を撃ち退けた御礼として、江島大明神の勅額を奉納されました。 このことから「戦いの神」としての弁財天信仰が広がり、東国武士たちが多く江の島を訪れるようになりました。 江戸時代になってからは泰平の世となり、江島神社は「戦いの神」から「芸能・音楽・知恵の神」として、また「福徳財宝の神」として信仰されるようになりました。 慶長5年(1600年)には徳川家康も参詣、代々の将軍たちも、病気の治癒、安産、旅行の安全などを祈願したと伝えられています。 それから後、慶安2年(1649年)に仏教との習合により、江島神社は金亀山与願寺(きんきざんよがんじ)と号しますが、江島大神としてのご神威はいささか曇り給うことなく、ご神徳はいよいよ広大に仰がれました。 明治初年の神仏分離によって、仏式を全廃して純神道に復し、改めて「江島神社」と号し、これまでの本宮と御旅所は奥津宮、上之宮は中津宮、下之宮は辺津宮と改称し、海の神、水の神、幸福・財宝を招き、芸道上達の功徳を持つ神として仰がれています。 |
神社・お寺情報 | 神社本庁別表神社 |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | 向い波の中の三つの鱗 |
更新情報 | 【
最終
更新者】忍 【 最終 更新日時】2024/01/14 13:40:44 |