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★★★ 参拝日:2022年3月11日 00:00
★★★ 参拝日:2019年5月2日 16:45
【授与所】 お守りやお札あり 境内に駐車場あり オリジナル御朱印帳あり
★★★★ 参拝日:2018年11月12日 00:00
坐摩さんがご祭神とのことで、珍しく感じました。 京都の福長神社、大阪の摂津国一之宮・坐摩神社のご祭神ですが、北陸のこちらでもご祭神だったとは今日まで存じ上げませんでした。 境内は清々しく、七五三のお子さんを連れたご参拝の方が多くいらしてました。 駐車場もあります。御朱印を頂きました。
★★★★★ 参拝日:2024年3月16日 11:14
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住所 | 福井県福井市足羽1-8-25 |
五畿八道 令制国 |
北陸道 越前 |
アクセス | 福井鉄道福武線足羽山公園口 徒歩6分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0776-36-0287 |
FAX番号 | 0776-36-0843 |
公式サイトURL | http://www.asuwajinja.jp/ |
御祭神 | 継体天皇 (けいたいてんのう) 応神天皇五世皇孫で、越前の治水事業を行ない、平野を開き諸産業を興された男大迹王(おおとのみこ)が、この越前から第26代天皇として即位をされるため、大和へ旅発たれる時に、「末永くこの国の守り神とならん」と、自らの生き御霊を宮に鎮めて行かれました。 それより継体天皇が主祭神として祀られています。 大宮地之霊 (おおみやどころのみたま) 男大迹王が、越前国でお過ごしの間に越前平野の大治水事業をされた伝承が残っていますが、その時に越前平野が一望できる足羽山に宮を建て、朝廷に祀られている大宮地之霊(坐摩神)を勧請し、事業の安全を祈願したのが足羽神社の起源とされています。 〈別称〉坐摩神(いかすりのかみ) 以下五柱神の総称 ・生井神 (いくいのかみ) ・福井神 (さくいのかみ) ・綱長井神(つながいのかみ) ・阿須波神(あすはのかみ) ・波比岐神(はひきのかみ) |
創建・建立 | |
旧社格 | 県社 |
由来 | 社伝によると、継体天皇は応神天皇五世の皇孫で近江国高嶋郷三尾野というところに御降誕され、御名を男大迩王、又は彦太尊と称されて、御父は彦主人王、御母は振媛と申され垂仁天皇皇孫で、皇子は、この御母の里高向郷(丸岡町)でお育ちになり、御慈深く叡智に長じ、御徳の高い御方に成長された。当時越前の国は、雨水が溢れ流れて田畑等も作れず、人の住むにも限られた処しか無い国であったので男大迩王は大層憐れに思われて、足羽山に浄地をトして御社を建てて大宮地の霊を鎮祭して神に誓い、地の理を調べて今の日野、足羽、九頭龍の三大川を作り三国に水門を開き諸水を海に落され越前平野が出来上ったという。この大土木工事は継体天皇が越前に居られた間の最も大きな御業績であり、ようやく農業も盛んになったばかりでなく、川を利用して舟で荷を運べる様になった。その他、道を通じ人々の居住を定め耕種、養蚕、製紙、採石の技術、その他諸産業興隆の道を教えられて人家繁栄の土地と成り、今に伝えられているのは、全て継体天皇の御恩恵によるもので、昔より越前開闢の祖神と称え崇め尊ばれて来た。時恰も武烈天皇が崩御されて皇嗣が居られなかったので諸大臣が相談し、大連大伴金村等が男大迩王を天皇として、御迎えに参り、御年58歳で遂に河内国樟葉宮にて26代天皇に即かれた。天皇は越前の国を離れられるにあたり、この土地を慕い、又後に残す人々の事を心配される余りに、「永く此の国の守神になろう」とおぼしめして、自ら御生霊をこの宮に鎮め、御子馬来田皇女を斎主として後事を託して都へ出発された。媛は天皇の霊を中央に大宮地の霊を左右に配祀し、阿須波神の御名より、足羽宮と称え奉る事になった。足羽郡、足羽川、福井等の名も皆相殿神の名に起縁していると伝えられている。ゆえに代々の朝廷が大いに尊崇の念を現わせられ世々の将軍、国主等からも厚い尊敬を受けている。創祀御鎮祭の年を紀元として毎50年に勅許宣命並に御衰筆を受け大祀を執行するのを定例にしていた。このため仁孝天皇の衰筆「大宮地之霊」の題字は旧国宝にされていたが戦争で焼失している。社領も足羽山から旧社村に及び広大な御厨地、神田地が置かれていた。その後、戦国時代の混乱により、現域の社地を残すだけとなったが、代々の国主を始め国中の人々の信仰を得て現在まで伝えられ、御創立以来1500年有余の歴史と天皇御白創という誉高い社格と伝承を有する神社である。当社の累代社家からは、足羽(牧田)敬明・住夏父子を、江戸時代中期に輩出している。敬明・住夏父子は、六国史のうち、特に『続日本紀』以下の五国史の注釈研究をなし、本県の国学史をみる上で看過できない。なかでも、わが国唯一の『三代実録』の注釈書である『三代実録故事考』を大成していることは特筆されるべきであろう。敬明は蔵書家で、その文庫を足羽文庫と称したが、相つぐ橋南の大火で、烏有に帰した。現在は、同家の出身画家、愛岳の作品群がこれに代る。当社は近世中期、松平氏の庇護を受け、社家町を形成するほどに繁栄していた。平成19年(2007)、祭神の継体天皇が即位(507)してから1500年という佳節を迎え、幣殿拝殿の増改修、社務所の増改築を行い、11月に奉祝記念大祭を斎行した。 |
神社・お寺情報 | 式内小社、旧県社 |
例祭日 | 歳旦祭 1月1日建国記念祭 2月11日例大祭 5月15日夏越の大祓 6月30日秋祭 9月20日 |
神紋・寺紋 | 三光 |
更新情報 | 【
最終
更新者】優雅 【 最終 更新日時】2019/08/18 20:40:12 |