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★★★ 参拝日:2019年5月2日 13:00
駐車場なし? 山の中に静かに鎮座。
★★★★ 参拝日:2019年4月2日 16:20
一乗谷の北の入り口付近にご鎮座。 鳥居と参道はご本殿西側になります。 一乗谷と言えば、戦国大名・越前朝倉氏の本拠地ですが、こちらのお社が朝倉氏代々の祈願所だったようです。 こちらのお社付近には、朝倉宗滴公の屋敷があったとの言い伝えもあるそうです。 鳥居は趣きがあり、神橋・石段どちらも苔生しており風情があります。 大きな御神木が多く、歴史を感じました。 社務所は石段左手の大きなお家で、そちらで御朱印をいただきました。 玄関でお茶まで出していただき、ホッと一息つけました。 駐車場はないそうです。私は境内北側川沿いの防災倉庫?のような建物の脇に停めさせていただき、歩いてお詣りさせていただきましたが、自己責任でお願いします。
参拝日:2025年3月31日 00:00
参拝日:2024年7月13日 00:00
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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
| 住所 | 福井県福井市安波賀町15-13 |
| 五畿八道 令制国 |
北陸道 越前 |
| アクセス | JR越美北線一乗谷 徒歩5分 |
| 御朱印授与時間 | |
| 電話番号 | 0776-41-2307 |
| FAX番号 | 0776-41-2307 |
| 公式サイトURL | https://abaca-kasugajinjya.jimdosite.com/ |
| 御祭神 | 天兒屋根命(あめのこやねのみこと) 武甕槌尊(たけみかづちのみこと) 経津主命(ふつぬしのみこと) 比壳大神(ひめ おおかみ) |
| 創建・建立 | 治暦4年(1068年) |
| 旧社格 | 県社 |
| 由来 | 当社は、社伝によると、後冷泉天皇の御代、治暦4年(1068)の創建という。帝都東北鬼門鎮護のため建立されたと伝えている。同年5月13日、当社勧請、卜部兼忠を奉幣勅使として、宜命の儀があった。以来後冷泉院勅願所となった。当時、当社は王城の鬼門であったため、社領三万有余石を寄せられ、越前国中第一の大社として、毎年勅使の参向が行われた。元暦年中(1148〜1185)、斎藤実盛の弟、実季が、春日絵を奉納した。文和2年(1353)2月、朝倉広景が社殿を修補して神事能を挙行した。永享4年(1432)浦松左大臣重盛の女より願文があって、華表、鰐口、戸帳等を寄進された。その後、国主、朝倉孝景(英林)が、深く当社を崇敬して、数多くの社領等を寄進し、祈願所とした。いよいよ国中の崇敬するところとなり、社運隆昌したが、文明年問遂に兵火にあい、孝景(英林)が、更に再建した。しかしついで、天正の乱が起って谷中大火災の際に、神主、吉田定澄も、御神体を奉じて難を江戸に逃れたという。松平氏治国の時に至って、松平吉昌が、元禄13年(1700)に社殿を再建、境内社たる滝殿社も造営された。この時、中納言、藤原実種の奏聞あって勅額を賜っている。同11年、実種は、時の諸公に筆を取らせて三十六歌仙の額を奉納され、正徳2年(1712)10月、松平吉邦は社領五〇石を寄進した。以後、松平氏の崇敬篤く、毎年社参があって、上下の尊崇も極めて厚かったが、明治維新以後、社領が廃止され、足羽の清流に臨んで、古杉うっそうとして、建築も古雅なる社であったが、次第に衰えた。明治5年11月に郷社に列し、同8年6月に県社に列せられた。昭和63年に社殿・社叢・滝殿社が、市文化財に指定された。 |
| 神社・お寺情報 | 越前朝倉氏 祈願所 駐車場:なし トイレ:なし |
| 例祭日 | 10月20日 |
| 神紋・寺紋 |
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| 更新情報 | 【
最終
更新者】優雅 【 最終 更新日時】2025/12/12 07:31:37 |





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