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基本情報
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住所 |
福井県福井市安波賀町15-13 |
五畿八道 令制国 |
北陸道 越前 |
アクセス |
JR越美北線一乗谷 徒歩5分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
0776-41-2307 |
FAX番号 |
0776-41-2307 |
公式サイトURL |
|
御祭神 |
武甕槌尊 経津主命 天兒屋根命 比賣大神 |
創建・建立 |
治暦4年(1068) |
旧社格 |
県社 |
由来 |
当社は、社伝によると、後冷泉天皇の御代、治暦4年(1068)の創建という。帝都東北鬼門鎮護のため建立されたと伝えている。同年5月13日、当社勧請、卜部兼忠を奉幣勅使として、宜命の儀があった。以来後冷泉院勅願所となった。当時、当社は王城の鬼門であったため、社領三万有余石を寄せられ、越前国中第一の大社として、毎年勅使の参向が行われた。元暦年中(1148〜1185)、斎藤実盛の弟、実季が、春日絵を奉納した。文和2年(1353)2月、朝倉広景が社殿を修補して神事能を挙行した。永享4年(1432)浦松左大臣重盛の女より願文があって、華表、鰐口、戸帳等を寄進された。その後、国主、朝倉孝景(英林)が、深く当社を崇敬して、数多くの社領等を寄進し、祈願所とした。いよいよ国中の崇敬するところとなり、社運隆昌したが、文明年問遂に兵火にあい、孝景(英林)が、更に再建した。しかしついで、天正の乱が起って谷中大火災の際に、神主、吉田定澄も、御神体を奉じて難を江戸に逃れたという。松平氏治国の時に至って、松平吉昌が、元禄13年(1700)に社殿を再建、境内社たる滝殿社も造営された。この時、中納言、藤原実種の奏聞あって勅額を賜っている。同11年、実種は、時の諸公に筆を取らせて三十六歌仙の額を奉納され、正徳2年(1712)10月、松平吉邦は社領五〇石を寄進した。以後、松平氏の崇敬篤く、毎年社参があって、上下の尊崇も極めて厚かったが、明治維新以後、社領が廃止され、足羽の清流に臨んで、古杉うっそうとして、建築も古雅なる社であったが、次第に衰えた。明治5年11月に郷社に列し、同8年6月に県社に列せられた。昭和63年に社殿・社叢・滝殿社が、市文化財に指定された。 |
神社・お寺情報 |
越前朝倉氏 祈願所
|
例祭日 |
10月20日 |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】村長
【
最終
更新日時】2020/05/18 15:46:42
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