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基本情報
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己等乃麻知比売命(ことのまちひめのみこと)
【八幡大神】
誉田別命(ほんだわけのみこと)
息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)
玉依比売命(たまよりひめのみこと)
創建年代は不詳ですが、成務天皇の御代(190年頃)にご鎮地座され、大同2年(807年)坂上田村麻呂東征の際に桓武天皇の勅を奉じ、本宮山より現在の地に遷宮されたと伝えられています。
古くは「己等乃麻知神社」「任事社」と尊称され、平安時代に書かれた「枕草子」や「延喜式神名帳」にも当社の名前が載せられております。
願いごとのままに叶う有難い言霊の社として京にも知れ渡っていたようです。
武家社会の世になり八幡信仰が隆盛し、康平5年(1062年)源頼義が京都より石清水八幡宮を当社に勧請してからは「八幡宮」を称するようになりました。
慶長13年(1608年)に徳川家康公が本殿を造営、寛永5年(1628年)に徳川秀忠公が中門を造営されました。
徳川幕府は御朱印100石余りを献上しており、本殿の金具には菊の紋と葵の紋が刻まれていることから将軍家が当社を信仰なさっていたことがうかがえます。
また、当社は東海道筋の難所である佐夜の中山の手前に鎮座することから和歌も多く詠まれ「十六夜日記」「東関紀行」「岡部日記」等多くの紀行文に記載されています。
明治5年(1872年)、県社に列せられた折には「県社八幡神社」と称していましたが、昭和22年(1947年)社格撤廃の折、古来の「ことのままの社」に基づいて「事任八幡宮」と改称しました。
金比羅神社(大物主神)、稲荷神社(宇迦御魂神)、五社神社(八意思兼神、天照大神、大國主神、火迦具土神、東照大權現)

【 最終 更新日時】2021/05/05 09:36:49