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基本情報
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高天原にいらっしゃる大御神は皇孫瓊瓊杵尊をこの国にお降しになる際に、豊葦原の千五百秋の瑞穂国は、是れ吾が子孫の王たるべき地なり。
宜しく爾皇孫、就て治せ。
さきくませ。
宝祚の隆えまさむこと、まさに天壌と窮りなかるべし。
と、この国は天地と共に永遠であるとの祝福のお言葉をお与えになりました。
また、この言葉と共に大御神は宝鏡を授けられ、「この鏡は私を見るがごとくにまつれ」と命じられました。
さらに高天原でお育てになった稲穂を授けられ、米をつくる暮らしが、この国の繁栄と平和をもたらすとお教えになられました。
この御祝福の言葉は「天壌無窮の神勅」と呼ばれます。
さて、瓊瓊杵尊に授けられた宝鏡は八咫鏡と呼ばれ、天皇が天照大御神をお祀りするご神体となっています。
八咫鏡は代々宮中で天皇ご自身がお祀りされていましたが、崇神天皇の御代になるとお側でお祀りすることに恐れを抱かれ、皇居を出られ、大和の笠縫邑に神籬を立ててお祀りすることになりました。
そこでは、天皇にお代わりして、豊鍬入姫命が皇大御神をお祀りしていましたが、垂仁天皇の御代に、倭姫命が新たに皇大御神をお祀り申し上げるにふさわしい地を求められることになりました。
倭姫命は大和の国を始め伊賀、近江、美濃の諸国を巡られた後、伊勢の国の度会の地、宇治の五十鈴の川上に到られ、皇大御神のお教えのままに「祠やしろ」をたててお祀り申し上げることになりました。
今からおよそ2000年前のことです。
祠は社とも書き、家や屋の代という意味で、大きなお祀りに際してその度新たにたてられる建物のことです。
神籬や祠のように臨時にたてられる建物が、神の宮、つまり神宮と呼ばれるほどに大きな規模になったのは、天武天皇から持統天皇の御代にかけてのことと考えられています。
20年に一度の大祭、神宮式年遷宮もその時代に始まりました。
皇室の御祖先の神、国民の大御祖神として崇敬される天照大御神をお祀りする。
近代では社格対象外。伊勢神宮、は通称であり、正式名称は地名のつかない「神宮」。
内宮は皇大神宮(こうたいじんぐう)、外宮は豊受大神宮(とようけたいじんぐう、とゆうけたいじんぐう)と呼ばれ、これら別宮、摂社、末社、所管社の125社すべてを含めて「神宮」といいます。
境内別宮は、荒祭宮(あらまつりのみや)、風日祈宮(かざひのみのみや)。

【 最終 更新日時】2023/02/16 09:50:53