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基本情報
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住所 |
京都府京都市伏見区羽束師志水町219-1 |
五畿八道 令制国 |
畿内 山城 |
アクセス |
JR京都線長岡京 徒歩26分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
075-921-5991 |
FAX番号 |
|
公式サイトURL |
|
御祭神 |
高皇産靈神 神高産靈神 |
創建・建立 |
雄略天皇二十一年(四七七) |
旧社格 |
郷社 |
由来 |
当社の御鎮座は、雄略天皇21年丁己(477)です。「続日本紀」大宝元年(701)4月3日条に「波都賀志神等の御神稲を今より以後中臣氏に給へ」とあって、羽束師神社についてみえる最も古い記録ですが、「三代実録」貞観元年(859)9月8日条には、「羽束志神、遣使奉幣、為風雨祈焉」とあり、風を鎮め、潤雨を祈願する神さまとして崇敬されていたことがうかがえます。近年当社西方の長岡京四条四坊に当る旧址から、祈願の際献じる土馬が発掘され、話題を呼んだのは興味深いことです。 この地は桂川及び旧小畑川等諸河川の合流点に位置し、低湿地ですが、古くから農耕が行われ且、水上交通の要地という条件と相まって、「乙訓・羽束郷」(和名抄)と称し開けてきた土地です。 因に、日本書紀垂仁天皇39年「冬10月(中略)泊橿部等并せて十箇の品部(とものみやつこ)もて五十瓊敷皇子に賜う」と記され又、「令集解」の職員令の中には「泥部=泊橿部とは古の波都加此の伴造を云う」とあります。何れにしても、「はつかし」と名乗る職業をもった人々の集団が、大宝令制に組み入れられる以前から、この地域に生活していたということが分かります。更に御所の野菜を供給する羽束師薗もあった処で、これらのことが、神社の発展をもたらした理由になったと考えられます。 平安初期延喜の制がととのえられるや当社は、式内大社に列せられ、月次・新嘗の幣に預かって、名実共に式内第一の社となり、「むすび」の御神威を愈々顕現され、天下豊平の加護を垂れ給うたのです。 中世・近世において、周辺地域の産土神として崇敬を集めたことは「都鄙祭事記」中の「久世、久我、古川羽束石祭四月中の巳日にて神輿二基あり。往古は、久世より下の村々は、羽束石社の産子なり。乱国の頃別れしも、上久世続堤より少し下れば往還の東に、羽束石社の御旅所と申す地あり。其所に小社並びに黄楊の古木あり」という記事からも推察できます。 「大乗院寺社雑事記」文明14年(1482)9月1日条に「8月27日28日、西岡羽束石祭、守菊大夫楽頭、随分得分神事也、百貫計得云々、当座ニ六十貫計懸物在之云々、盛物等大儀講也云々」とあり、祭礼には宇治猿楽守菊大夫が、楽頭職となって神事能を演じた事、またこの神事は近郊に聞えた盛大なものであったらしく楽頭の得分は百貫と記されています。氏子圏の広さとその豊かさを物語っています。 |
神社・お寺情報 |
延喜式内社(大) |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】じゃすてぃ
【
最終
更新日時】2019/05/19 03:15:18
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