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基本情報
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住所 |
埼玉県さいたま市南区鹿手袋6-3-15 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR埼京線武蔵浦和 徒歩10分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
0488615041 |
FAX番号 |
0488615041 |
公式サイトURL |
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御本尊 |
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宗派 |
真言宗智山派 |
創建・建立 |
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由来 |
新編武藏風土記稿
足立郡鹿手袋村
寳泉寺 新義真言宗輿野町圓乗院末鶴壽山安楽院ト號ス 本尊薬師ヲ置リ 開山良宜天文十四年十一月六日示寂セリ
観音堂 正観音ノ胴像ヲ安ス 當寺第六世ノ僧賢良境内ヨリ掘出セリト云 天神牛頭天王合社
境内碑
寳泉寺本堂庫裡新築記念碑
当山は鶴寿山安楽院寳泉寺と稱し鎌倉時代文保年間約六百数十年前創立されたと伝えられ 当寺第五世権大僧都良目寶泉寺閉居保壽院逆修建立 第六世権大僧都賢良境内より正観音の銅像を掘出 第七世法印寛寶観音堂造立とあるを見ても今より三百数十年前建立され御本尊薬師如来 十二將軍を祀り吾等の祖先を護り今日に至つた由緒ある寺院でありあります
昭和二十六年戦後の世相定まらぬ折先住第十七世権少僧都寛祥時の世話人と相計り護持会発起墓地開拓の事業を起し寳泉寺の改築竝に寺門の経営に努力を続けたが機至らず見送られ昭和四十二年六月三日檀徒会議を経て建設委員会発足 昭和四十三年四月二十五日閉眠式解体直に工事に着手 仝年十月吉日本堂 庫裡新築を無事完了
昭和四十三年十月二十七日当本山智山派前管長倉持秀隆大僧正猊下大導師のもと稚児練行 八仏開眠落慶法要を盛大に施行することが出来ました
これ偏に御本尊薬師如来の絶大な御守護と檀信徒先祖累代各精霊御加護の賜であります
大新築供養を記念し由来を碑に込めて後世に伝える
合掌
撰文 永堀文司
昭和四十三年十月吉日 |
神社・お寺情報 |
境内掲示板
さいたま市指定有形民俗文化財
庚申塔一基
寬文九年己酉二月吉日の銘あり
昭和五八年四月一一日指定
規模 高さ 一七五・〇cm 幅三六cm
この庚申塔は塔身部が角柱で、笠の正面には唐破風状の意匠を施し、正面に蓮の葉の浮き彫りがある台石の上に立っています。
塔身部正面は二段に彫り窪められていますが、その形は「花頭窓」の形になっています。窪められた部分の上方には三猿が肉彫りされ、その下に阿弥陀三尊種子、さらにその下に三行の銘文が彫り込まれています。銘文には「武蔵足立郡與野郷鹿手袋村」「寛文九年二月吉祥日 九人敬白」などの文字が見られ、寛文九年(一六六九)に鹿手袋の九人によって造立されたものであることがわかります。
同じ寛文九年の銘がある庚申塔が、同じ荒川左岸に位置し鹿手袋とも近い栄和の重円寺と道場の金剛寺にあります。庚申塔としては初期のものであるこれら三基は、この時期に庚申信仰が市内のこの地域に急速に広まっていったようすを伝えています。
平成十一年二月
宗教法人宝泉寺
さいたま市教育委員会 |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2024/02/04 12:53:16
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