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★★★★ 参拝日:2020年10月16日 10:20
延喜式内社 (名神大 月次/新嘗) 。 郷社。 鳥居参道は南側。 駐車場は鳥居右側にあります。 住宅街にご鎮座なさっておられますが、名神大社ということもあり、木々に覆われた落ち着いた境内。 真っ直ぐの石段を上がるとご社殿です。 綺麗に整えられた境内は住宅街ということを忘れる心地よさです。 御朱印は社務所にていただきました。
★★★★★ 参拝日:2017年7月7日 00:00
滝のある神社です
参拝日:2025年6月4日 18:33
参拝日:2025年4月18日 20:02
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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 大阪府吹田市垂水町1-24-6 |
五畿八道 令制国 |
畿内 摂津 |
アクセス | 阪急千里線豊津 徒歩5分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 06-6384-1526 |
FAX番号 | |
公式サイトURL | http://taruminoyama.starfree.jp/ |
御祭神 | 豊城入彦命 |
創建・建立 | |
旧社格 | 郷社 |
由来 | 神崎川・淀川が、古来難波と呼ばれていたこの地を西に流れて茅淳の海にそそぎこむ、その北岸に鎮座する垂水神社は、7世紀のはじめの起源を今日に伝えている。 「新撰姓氏録」は、この地に勢力を持っていた阿利真公が大化の改新頃の旱魃のおり、垂水基岡(千里山)から湧き出る水を、当時の難波長柄豊崎宮に送り、その功をたたえられ、垂水公の姓を賜るとともに、垂水神社を創祀したという。 いははしる垂水の上のさわらびの もえいずる春になりにけるかも (万葉集・志貴皇子) と、万葉集にも詠まれた神水が洞れることなく、今も一千数百年の時を越えて垂水の滝として流れ続けている。 社伝によると、豊城入彦命は、崇神天皇の第一皇子でありながら、弟の垂仁天皇に皇位を譲り東国開発の旅に出た。のちに四道将軍の一人に数えられる豊城入彦命が、第一歩を記したのがこの垂水の地であり、子孫が神として祭り社を阿利真公とその末裔に伝えたという。なお、境内には弥生時代の住居址が確認されており、水にたいする信仰はかなり古くからあったものと思われる。 その後は、祈雨の神として朝廷をはじめ広く信仰をあつめ、平城天皇の頃に封戸の寄進をうけて以来、平安時代には、勲八等従五位下から従四位下まで、祈雨のたびに神階を進めた。延喜式(907年)制においては、名神火の杜に列せられている。また、大嘗祭にさきがけて行われたといわれる八十嶋祭において、朝廷より奉幣と祭料布を下賜されたといい、これを証明するように神崎川畔から古鏡が発見されている、また垂水の地には、最近まで律令制のなごりを伝える条里の遺構も見受けられた。 やがて、古代から中世の荘園の時代には当社を含む垂水荘は、豊かな農耕の地ゆえに東寺や春日大社などの有力社寺の所有権争いの対象となつていった。 近世にあっては、社寺の衰えという時代の情勢を越えて、熱心な信者に支えられ、天和三(1683)年に社殿を改築し、朝廷から十六弁の菊を神紋として使用することが認められている。 明治以後郷社となり、昭和四十九(1974)年、衰えることなき氏子崇敬者の熱意で造営奉賛委員会が組織され、今日の本殿・幣殿・拝殿を完成奉仕するに至った。 |
神社・お寺情報 | 延喜式内社 (名神大 月次/新嘗) 摂津国 豊島郡 垂水神社 |
例祭日 | 10月21日 |
神紋・寺紋 | ![]() |
更新情報 | 【
最終
更新者】じゃすてぃ 【 最終 更新日時】2021/05/09 17:05:41 |