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★★★ 参拝日:2019年7月17日 15:50
境内に天然記念物の尾上の松があることで有名な尾上神社。 最寄りの駅も尾上の松駅です。 鳥居参道は南東側。 境内外側に駐車場もありました。 街中のご鎮座ですが、境内は広々とした感じです。 ご社殿の左側の尾上の松が立派でした。
参拝日:2024年10月14日 00:00
参拝日:2024年8月15日 11:30
参拝日:2023年11月5日 00:00
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住所 | 兵庫県加古川市尾上町長田字尾上林518 |
五畿八道 令制国 |
山陽道 播磨 |
アクセス | 山陽電鉄「尾上の松駅」より南東へ800m |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0794-22-5676 |
FAX番号 | 0794-22-0433 |
公式サイトURL | http://www.eonet.ne.jp/~onoejinja/ |
御祭神 | 住吉大明神(海の神様)
〔底筒男命(そこづつおのみこと)〕 〔中筒男命(なかづつおおみこと)〕 〔表筒男命(うわづつおのみこと)〕 〔息長足姉命(おきながたらいめのみこと)〕 |
創建・建立 | 不詳 |
旧社格 | |
由来 | 神功皇后が三韓征伐をなされた時、御凱陣の砌、此処に上陸されたが、霖雨が降り続いて軍を進めることが出来なかった。
そこで、「鏡の池」で斎戒沐浴して当社を鎮祭し、晴を祈願されたという。 以後軍神、海上の守護神として舟人の参詣する者が多かった。 播磨風土記に「昔大帯日子命、幸行別媛之處、道辺有長田、勅云、長田哉、故曰長田里」とみえ、「高砂」という地名は、むかし此の辺一帯の総称で、当社は所謂「高砂の尾上云々」とうたわれた名所である。 醍醐天皇の御代、肥後の国阿蘇宮の神宮友成が上京のみぎり、当社に参拝し、相生の松を探ねた時、尉姥二神が顕れ給い、夫婦睦まじく歳久しく住み給いしという、目出度い古説は、人口に噌炙して、丹青に画かれ、詩歌に詠まれ、婚礼には島台と名づけて此の形をとり、正月には蓬莱に並べて祝っている。 豊臣秀吉の三木城攻めの際、戦乱のため、社頭は荒廃していたが、慶長9年(1604年)池田輝政が姫路の藩主となった時、初代相生の松の根の上に社殿を移して修築。 寛永2年(1625年)、本多忠政が鐘楼を建立した。 |
神社・お寺情報 | |
例祭日 | 9月30日 例祭 |
神紋・寺紋 | 揚羽蝶 |
更新情報 | 【
最終
更新者】じゃすてぃ 【 最終 更新日時】2019/08/04 20:38:43 |