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基本情報
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住所 |
埼玉県鴻巣市糠田1439 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR高崎線北鴻巣 徒歩30分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
0485960439 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御本尊 |
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宗派 |
真言宗豊山派 |
創建・建立 |
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由来 |
新編武蔵風土記稿
足立郡糠田村
放光寺
新義眞言宗箕田村龍珠院末糠田山ト號ス中興僧朝遍寛文四年五月廿日寂ス本尊大日ヲ安ス外ニ足立藤九郎盛永ノ像トテ一軀アリ木ノ坐像ニテイト古色ナリ相傳フ當村ハ昔盛長カ領地ナリシユヘ其頃當寺ヲ創立シ且自作ノ像ヲ殘シテ永ク祈願所ニ定メシト此説オホツカナシソレヲイカニト云ニ武家評林緒家大系圖等ニ盛長ヲ安達藤九郎ト載タリ安達ハ陸奥國ノ郡名ナレハ足立トハ自ツカラ異ナレリ殊ニ盛長ノ子孫景盛モ始ハ安達ヲ名乗リテ後年秋田城介ト改號スレハ奥羽ノ地ヲ領セシコト論ナカルヘシ思フニ安達足立唱ヘノ同シキヨリカヽル附會ノ説ハヲコリシナラン 彌陀堂 觀音堂 正觀音ナリ長二尺三寸五分佛師定朝ノ作 |
神社・お寺情報 |
境内掲示板
埼玉県指定有形文化財(彫刻)
木造安達藤九郎盛長坐像
平成元年三月十七日指定
ここ糠田山毗廬遮那院放光寺の開基は、源頼朝の御旗奉行を務めた安達藤九郎盛長とされ、本堂にはこの盛長の坐像が安置されている。
像の高さは七七・四センチメートル。寄木造で水晶の玉眼が入れられている。蓮西と名乗った出家後の姿であるが、面影はむしろ精悍な鎌倉武士を思わせる。作者は不明。制作年代は南北朝時代と思われる。
安達藤九郎盛長は、治承四年(一一八〇)源頼朝の挙兵に応じて相模の国で功を挙げ、同国を安堵(主君は臣下に対して土地の権利や職位を保障すること)された。
その後、盛長の所領は相模・下総・武蔵にまで及んだ。さらに建久五年(一一九四)には頼朝の信任をうけて鶴岡八幡宮の奉公人となった。
正治元年(一一九九)一月の頼朝の死後出家したが、その後も北条時政や大江広元等とともに重要訴訟の調査・裁決などに係わるなど幕府の要職にあり、三河の守護にも就いた。正治二年(一二〇〇)に六六歳で没した。
埼玉県教育委員会
鴻巣市教育委員会
鴻巣市指定有形考古資料
糠田出土渥美壺一点
平成十一年三月二十四日指定
放光寺の境内から出土した渥美窯産の広口壺の製作年代は、十二世紀末頃(平安時代末~鎌倉時代初頭)である。火葬用の蔵骨器としてこの地方の有力者が用いたと考えられる。
当寺の開基は、鎌倉幕府にあって有力者であった安達藤九郎盛長であるとされ、その木像も本堂に安置されている。この木像に加えて出土地と製作年代が明らかな渥美壺があるということは、中世初期にこの糠田の地を拠点として活躍した有力者がいたことを物語っているといえよう。
平成二十四年二月
鴻巣市教育委員会 |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】zx14r
【
最終
更新日時】2025/06/14 12:20:43
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