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みんなの参拝記録
参拝日:2018年2月7日 00:00
ご祭神の五十猛神は書紀と旧事本紀のみに登場する神で、古事記では大屋毘古神と同神とされています。もちろん時代も違えば、系譜や神格も異なるので別神です。 これはこの地の新しい支配者となった紀氏による画策だと思われます。この地での大屋毘古神と、その祭祀者であった名草戸畔(ナグサトベ)の崇敬度があまりに強く、稚日女を奉戴して根付かそうとしたものの猛反発に合いました。そこで画策したのが郷里を同じくする(新羅系)である五十猛神を大屋毘古神と同神であるとすること、名草戸畔を名草姫として紀氏の系図に取り込むことだったようです。 こうして紀氏は紆余曲折しながら、強圧的に地元民たちを支配いくことになりました。(続きは長くなるのでまた訪れたときにでも)
★★★★ 参拝日:2018年1月6日 00:00
日前宮と同じわかやま電鉄で行けるので一緒に参拝をオススメします。ただしICカードは使えませんのでご注意ください。
参拝日:2024年7月15日 10:45
季節による御朱印も有るのかも?
参拝日:2017年11月26日 00:00
五十猛神に今年一年のお礼をすることができました。 新しい鳥居が完成、奉賛したのに何の連絡も無かったのが残念ですが、立派に美しく生まれ変わりました。
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紀伊国一ノ宮
(はまちゃんさん) 日付:2025年3月25日 12:59 |
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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 和歌山県和歌山市伊太祈曽558番地 |
五畿八道 令制国 |
南海道 紀伊 |
アクセス | わかやま電鉄貴志川線伊太祁曽 徒歩3分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 073-478-0006 |
FAX番号 | |
公式サイトURL | http://itakiso-jinja.net/ |
御祭神 | (主祭神)五十猛命【亦名−大屋毘古神】(いそたけるのみこと) (配祀神) 大屋都比賣命(おおやつひめのみこと) 都麻津比賣命(つまつひめのみこと) |
創建・建立 | 不詳 |
旧社格 | 官幣中社 |
由来 | 当神社創建の時期ははっきりしないが、『続日本紀』の文武天皇大宝2(702)年が初見記事となる。当神社が現在の地に鎮まる以前には、現在の日前神宮・國懸神宮(通称:日前宮)の地にお祀りされていたと伝えられている。日前宮の御鎮座が垂仁天皇16年と伝えられているので、その頃に秋月(現在の日前宮鎮座地)より山東(現在の伊太祈曽周辺)に遷座されたと推察されるが、当初は現在の社殿のある場所より南東に500mほど離れた「亥の森」と呼ばれる場所であった。亥の森は、今でも田圃の真ん中にこんもりとした森で、いかにも神奈備の様相を呈している。中には、摂社である三生神社が鎮まっている。『延喜式神名帳』には「名神大、月次、相嘗、新嘗」とあり朝廷の尊崇が篤い大社であったことがわかる。中世には鳥羽上皇が当荘(山東荘)を根来寺に寄進されたことから根来寺との縁が深くなるが、そのため天正年間の豊臣秀吉の根来攻めにより、当神社も戦禍に巻き込まれた。後に、羽柴秀長によって社殿の再建が成されている。御祭神の五十猛命は素盞鳴尊の御子神様で、『日本書紀』には父神の命を受けて日本国土に木種を播き青山と成した植樹神と記されている。このことから「木の神」として慕われ、木の神様の住む国ということでこの地は「木の国」と呼ばれ、やがて「紀伊国」と成った。また、家や船は木材より作られたことから、家屋の神、浮宝(船)の神としても慕われている。『古事記』では大屋毘古神の御名で登場するこの神様は、大国主神を災厄から救った神話(因幡素兎の次の段)が記されており、このことから「いのち神」「厄難除けの神」という信仰もある。今日でも泉南地区(大阪府)の漁師が大漁祈願に、高野口方面(和歌山県)や河内長野方面(大阪府)の人々が病気平癒祈願に多く参拝されている。近年、地球環境の温暖化対策に樹木の役割が大きいと注目され、植樹運動が活発に行われてゆく中、環境問題に関心を持つ人の参拝も増えている。 |
神社・お寺情報 | 紀伊国一の宮、別表神社 式内大社 伊太祁曾神社の比定社 幣帛は月次 相嘗 新嘗 |
例祭日 | 例祭・神輿渡御 10月15日 |
神紋・寺紋 | ![]() |
更新情報 | 【
最終
更新者】SFUKU 【 最終 更新日時】2025/05/03 12:28:12 |