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基本情報
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| 住所 |
和歌山県海南市下津町下津1606番地 |
五畿八道 令制国 |
南海道 紀伊 |
| アクセス |
JR紀勢本線下津 徒歩9分 |
| 御朱印授与時間 |
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| 電話番号 |
073-492-1474 |
| FAX番号 |
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| 公式サイトURL |
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| 御祭神 |
(主祭神)下照姫神 (配祀神)事代主神 猿田彦神 倉稻魂神 月讀神 須佐男神 菅原道真公 上筒男神 中筒男神 底筒男神 應神天皇 大巳貴神 神功皇后 皇太神 丹生津姫神 市杵島姫神 |
| 創建・建立 |
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| 旧社格 |
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| 由来 |
当神社伝来の旧記によると、後鳥羽天皇建久元年元日の夜、熊野権現の神が白髪の老翁として現われ、鎌倉の右兵衛佐、源頼朝公の御枕上にお立ちになり、「紀伊国海部郡の海上に、1体の御神像が漂流なされている これを勧請して、その地の氏神としたならば、天下泰平まちがいなし」とのお告げがあった。頼朝公はこの霊夢を奇とされ、翌朝、北条四郎時政と当地の住人、庄司右太大夫の舎弟左衛門次郎祐重の一子、主馬尉宇野邊時重、杉田太郎成経に命じて、海岸を捜索させると、果たして1体の御神像が海上に漂流なされていた。そこで、これを拾いあげ奉り、さらに幕府の命によって、その海岸に社殿を建築し、この御神像をおまつりして、当地の氏神とした。当時鎌倉より時重成經に差添へ、当国に遣はされたる者15人あり、此等の人々は、何れも当地に留り、子孫相継ぎ天下泰平の祈をなせりと云う。海上発展の神として、氏子崇敬者の信仰厚く、御神像の流着した海岸を神出が浦と称している。尚、当神社社田は、(紀伊、和泉)両国に、1万2千町歩を有し、後更に、紀伊国(日高、牟婁)両郡に、2千町歩を有せしが、天正年間、根来山に属せしにより、豊臣太閤南征の当時、悉く没収せられ、旧記、古文書等は、焼失されたと伝えられる。尚、当社の南には明治初年まで真言古義派の「威徳山西光寺」があり、本尊阿弥陀如来の製作年代が、鎌倉時代と伝えられるところからも当社の由緒は明らかとされている。 |
| 神社・お寺情報 |
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| 例祭日 |
10月14日 |
| 神紋・寺紋 |
未登録
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| 更新情報 |
【
最終
更新者】管理者
【
最終
更新日時】2013/02/01 00:00:00
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