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基本情報
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| 住所 |
和歌山県海南市下津町市坪269番地 |
五畿八道 令制国 |
南海道 紀伊 |
| アクセス |
JR紀勢本線冷水浦 徒歩33分 |
| 御朱印授与時間 |
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| 電話番号 |
073-494-0455 |
| FAX番号 |
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| 公式サイトURL |
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| 御祭神 |
山路王子 応神天皇 天照皇大神 |
| 創建・建立 |
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| 旧社格 |
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| 由来 |
当神社は、平安時代より鎌倉時代に於ける、当時の思潮として、敬神崇祖の傾向が顕著なものがあったが、特に皇室の熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)のご崇敬が厚く、熊野への御幸は延喜7(907)年宇多上皇の御代を最初として、平安時代に頻繁に行われた。御幸の途中は幾山河を起える険しい難路を冐して、はるばる三山へ参詣された。この熊野御幸の御道筋にて熊野を遙拝され御休憩所・御宿泊等の便宜のため、道々に設けられた神社を王子神社と称された。この王子社の信仰は、御幸道に沿って発達し、熊野九十九王子として当時より後世に至るまで熊野参詣の盛なるにつれ庶民の間にもこの信仰が広められたのである。当神社は現在、山路王子神社と呼ばれているが、建仁元(1201)年の『御幸記』に記載せらるところの「次参一壷王子」とある前記熊野九十九王子跡である。また、延享3年『南紀神社録』奥書によれば「市坪王子亦称、山路王子、市坪村往還之右」と記載されている。この市坪王子社が、現在の山路王子社を指すことが、その鎮座所が前記現在のところと同一であることによって分明である。而して、当時なお『御幸記』の如く、一壷王子―市坪王子と呼び、山路王子は、その通称であったのであり、当神社の本称名となったものであろう。ちなみに、昔ここに瑠璃光山安養寺があったが、明治維新後廃仏毀釈の折に、この寺が取り除かれたが、現在、当社境内の鐘堂にその名をとどめている。以上の如く、当社は、今に郷土の産土神として、鎮座する神社であって、社歴が古く王子社として残る極めて稀なる社に当たるわけである。この神社は秋季大祭(10月第2日曜日)の行事として〝獅子舞〟〝泣き相撲〟が行われる。この行事はいつの時代より行われたかは確かな文献がないが、古老からの云い伝えによれば江戸時代(約350年前)より行われている当神社伝統の神事である。奉納花相撲(通称泣き相撲)氏子より選ばれた5・6歳の男の子が行司となって裃に軍配を携え、境内に設けられた土俵に上り神前に向って神様への祈願と参詣者の見物人に対して「幼気な子どもを集め花相撲を行う」旨の口上を述べ披露する。続いて、まだよちよち歩きもできない生後4か月ぐらいから小学校までの男の子が赤や青の色とりどりのマワシを締めて介添役の氏子総代に抱かれ土俵の中で取組がなされる。取組は1人2回ずつみんな仲よく一勝一敗で終わらせる。これは互に土を付け合う仕組で勝負をけしかけられ泣きながら相撲を取るので、この名が付けられたのである(勝負が済めば褒美として参加者全員に破魔弓セットとした進呈)。この〝泣き相撲〟に子どもの背中に土を付けると病気にかからないと言い伝えがあり、また、祭神が氏子にスポーツを奨励し無病息災を願われとも伝えられている。愛児の健やかな成長を願い年に一度の産土神のお祭にわざわざ里帰りして坊を出場させるお母さんも多く見られる。 |
| 神社・お寺情報 |
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| 例祭日 |
10月第2日曜日 |
| 神紋・寺紋 |
未登録
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| 更新情報 |
【
最終
更新者】有為の奥山
【
最終
更新日時】2024/09/22 18:10:11
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