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参拝日:2017年9月29日 00:00
場所は揚子江の南、時は春秋戦国時代、2人の美しい双子の姫が呉という国で生まれました。 ところが呉は越に滅ぼされて、越は楚に滅ぼされ、呉越同舟にて倭の国へと逃げ延びてきました。姉(後で生れた方か)は大日女(オオヒルメ)、妹は稚日女(ワカヒルメ)。大日女は上陸した九州にとどまり後の天照大神に、稚日女は一族の水銀採掘という特技を生かし東へと次々に採掘、移住、最期はこの神社がある伊都だったのでしょう。空海とかいうあさましい僧侶に水銀採掘の手段を奪われ、その蓄えた財産で姫が眠る高野山までもが奪われた挙げ句、テーマパーク状にされてしまったという悲しい歴史があります。それでも悲劇の姫はこの地で安らかに鎮まっておられます。
★★★★★ 参拝日:2018年7月14日 00:00
紀伊國一之宮。本当に清々しく神々しい空気に満ち溢れたお宮さんでした。
参拝日:2024年7月20日 13:25
御朱印直書きで500円 境内社もあります。
★★★★ 参拝日:2002年8月16日 00:00
紀伊国一の宮。全国一の宮巡拝30社め。 朱塗りの太鼓橋や神殿は、やや色褪せているけれど、落ち着く。しばらくそこにいると癒やされる空間。四社造りは拝殿から覗き込まないとわかりにくい。朝早くだったので逆光を避けて写真を撮ったのだが、光の差し込み方が美しく映っていて現像した後で驚いた。 一般的に「オーブ」と呼ばれるらしいが、私自身は 半信半疑です。 高野山と共に世界遺産に登録されている文化財でもある神社で、御祭神は天照大神の妹 神とされている。
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(はまちゃんさん)
日付:2019年12月31日 15:29 |
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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 和歌山県伊都郡かつらぎ町大字上天野230番地 |
五畿八道 令制国 |
南海道 紀伊 |
アクセス | 南海高野線上古沢 徒歩30分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0736-26-0102 |
FAX番号 | 0736-26-0107 |
公式サイトURL | http://www.niutsuhime.or.jp/ |
御祭神 | 第一殿 丹生都比賣大神(にうつひめのおおかみ) 第二殿 高野御子大神(たかのみこのおおかみ) 第三殿 大食都比賣大神(おおげつひめのおおかみ) 第四殿 市杵島比賣大神(いちきしまひめのおおかみ) |
創建・建立 | 不詳 |
旧社格 | 官幣大社・式内社(名神大社)・紀伊國一之宮 |
由来 | 紀伊山地の入り口にあたる、標高四五〇mの盆地である天野の地に神社が創建されたのは、今から千七百年以上前と伝えられる。 『丹生大明神告門』によれば、丹生都比売大神は、天照大御神の御妹神で、稚日女尊とも申し上げ、紀ノ川流域の三谷に降臨、紀州・大和を巡られ農耕を伝えられ、この地に鎮座せられたとある。 また、『播磨国風土記』によれば、神功皇后出兵の折、大神の託宣により、赤土を賜り、これを天逆鉾に塗り船に立てたところ、戦勝することが出来たため、これに感謝し応神天皇が社殿を造営され、紀伊山地の北西部一帯を神領として寄進されたとある。今も大神を御祭神とする神社は県内八十社をはじめ、全国約百八十社を数え、当社が本社である。 さらに、『日本書紀』に神功皇后が新羅より帰還された後の記事として天野の祝(神職を意味する)が登場することから、神社の奉斎が古くから行われていたことを示すものとされている。 式内社としては、名神大社に列し、月次、新嘗の幣帛に預る。また、蒙古襲来の後、紀伊国一之宮ともなった。これは、幕府が当社に異国降伏を祈願したところ、大ガラスが飛び立ち暴風が起こって元の軍船を壊滅させた御神威が理由とされる。 社格制度上では、大正十三年に官幣大社に列格している。 信仰的には、真言密教との密接な関係を保ってきた神社として知られる。弘法大師は、丹生都比売大神より神領を借受け、高野山の壇上伽藍の御社に守護神として大神を祀り、真言密教の総本山を開いた。大神の御子の高野御子大神は、弘法大師空海の前に、白と黒の犬を連れた狩人に化身して現れ、高野山へ導いたと今昔物語に伝わる。 また、古来、高野山への参詣者は、表参道である町石道を登り、途中にある二つ鳥居からまず当社に参拝するのが習わしであった。鎌倉時代から明治の廃仏毀釈までは、当社の周囲には、数多くの堂塔が建てられ、惣神主をはじめ社家十九家と社僧、神子、神楽男総勢五十六人で護られてきた。その間、舞楽法会が行われている。これは、都からの伶人三十余名による舞楽が奉納され、高野山の僧侶百余名による法会が、国の安泰を祈る行事として、社頭で行われたものである。 神社の社殿は、鎌倉時代に、行勝上人により、大食都比売大神と市杵島比売大神が勧請され、現在の四殿となり、室町時代に火災により消失するが、すぐに復興されている。 朱塗りに彫刻と彩色を施した社殿は、春日造では日本一の規模を誇ると言われる。楼門とともに重要文化財に指定されている。鏡池に架かる朱塗りの太鼓橋は、天野盆地の里山の風景に溶けこみ四季折々に姿を変える。 主なご祭礼としては、例祭は秋の大祭として斎行され、春の大祭としては、四月第三日曜日にご祭神に花を供える花盛祭があり、この日渡御の儀が行われご神幸がある。他に、一月第三日曜日に行われる御田祭があり、起源は平安時代後期とされる豊作を祈る農耕神事である。 平成十六年、「紀伊山地の霊場と参詣道」として、世界文化遺産に登録された。 |
神社・お寺情報 | [延喜式神名帳] 丹生都比女神社 名神大 月次新嘗 の比定社 [現在] 別表神社 紀伊國一宮。丹生都比賣神社の総本社。 ※世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一つ |
例祭日 | 10月16日 |
神紋・寺紋 | ![]() |
更新情報 | 【
最終
更新者】丹生都比古 【 最終 更新日時】2022/03/04 14:55:32 |