みんなの御朱印
自分の御朱印
まだ御朱印が登録されていません
みんなの参拝記録
1
108
自分の参拝記録
まだ参拝記録が登録されていません
みんなの動画
自分の動画
まだ動画が登録されていません
基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
| 住所 |
和歌山県田辺市芳養松原1丁目19-12 |
五畿八道 令制国 |
南海道 紀伊 |
| アクセス |
JR紀勢本線芳養 徒歩3分 |
| 御朱印授与時間 |
|
| 電話番号 |
0739-22-4788 |
| FAX番号 |
|
| 公式サイトURL |
|
| 御祭神 |
(主祭神)天照大神 豊受大神 (配祀神)正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命 天之菩卑能命 天津日子根命 活津日子根命 熊野久須毘命 多紀理毘売命 市寸島比売命 多岐津比売命 大宮乃女命 御膳津命 萬幡豊秋津師比売命 高皇産霊命 神皇産霊命 生久産霊命 足留産霊命 玉留産霊命 猿田彦命 天退向津比売命 氏ノ長者命 保食命 大綿津見命 大屋比古命 火之迦具土命 菅原道真 宇迦之御魂命 |
| 創建・建立 |
|
| 旧社格 |
|
| 由来 |
創立年代は詳ではないが院政期の記録中右記(天仁二一一〇九年)や後鳥羽院熊野御幸記建仁元(一二〇一)年などにみえる芳養王子社で熊野参詣者に崇敬されたが、中世末以来九十九王子信仰の衰微から荒廃したようで社記に正和三(一三一四)年若一王子権現宮として再興され下芳養の産土神に祀られたことがみえる。湯河氏も芳養庄を支配した時代に田地五町余を寄進(紀伊続風土記)され再興につとめている事が記されている。しかし宝永四(一七〇七)年の津浪や延享三(一七四六)年の大火、嘉永七(一八五四)年の再三度の災害によって創立以来の記録・宝物類が消失したという。明治元年には神仏分離の動きの中で社名は若一王子宮・大神宮と改められたが同五年大神社と定められた。同六年四月に村社に列せられる。同十年十月に下芳養四ヶ村内の小社・叢社(田中の八柱社、芋の大神宮、西炭竃の氏神社、井原の綿津見社、大屋の大屋社、境の愛宕社)を合祀して境内社とした。同三十五年に社格に伴う境内面積の規定により境内地が拡大される。同四十二年十月幣帛料社に指定。 さらに大正三年二月に会計法適用社に指定された。昭和二十二年宗教法人登録に伴って社名を寄言神社としたが二十五年八月現在の社名に復帰した。俗称の寄言の宮は大昔の或る神官の時代、或る夜の夢の中で束帯の神人より「我は今度〝泊りの鼻〟に寄れる神なり、早く我を迎えるべし」とお告げがあり神官は翌朝お告げの場所に行くと一つの笏(鏡)が漂うておりそれをただちに迎えて御神体にしたという。(紀伊国名所図会に記載)お告げによる寄り笏(鏡)の口碑は漂着神の伝承の一つである。(例祭)大神社の祭礼は明治より十月八日宵宮祭、九日本祭にて行われたが、現在は前述の通り十月第二日曜日に行われている。本祭の渡御に供奉する美女万才、神饌の中の一枝二個付茄子が珍しい。宵宮の前日午後七時頃獅子舞衆一同が宮入りをし清祓の後氏子各家庭に獅子舞を奉納して廻る。宵宮祭の昼前、宮司が本当宿に出向き当宿の家祓いを行う。午後八時頃二地区の獅子の渡りが行われる。本祭日は午前八時頃から二地区三頭の獅子舞の奉納がある。三時頃から渡御に出発。 氏子参列者と列をなし町内を神幸する。四時宮入りをし神前にて例大祭神事が斎行されるが、この神事に各当宿から奉納された一枝二個付茄子を献饌する。一枝二個付茄子とは長さ一尺三寸、幅五寸の板台に竹串を馬蹄にまげて板台の両端にさし込み、揚柳の枝をさし渡し、これに茄子二個つきを板のままくくりつけたもので、いわれは定かでないが特殊な神饌物である。また七地区から奉納される幣は、幣串の長さ二間(最近は短くなってきた)あり、渡御後の神前奉幣に際し紙垂幣束の床上に垂れる程度により、漁運隆昌豊年万作の吉凶を占うとの伝えがある。神前例大祭の斎行をもって祭典の行事を終える。 また九月の晦日には神様が出雲路に旅立たれる事を寿ぎお飛神事が斎行される。 |
| 神社・お寺情報 |
|
| 例祭日 |
10月8・9日(平成15年より10月第2日曜日) |
| 神紋・寺紋 |
未登録
|
| 更新情報 |
【
最終
更新者】じゃすてぃ
【
最終
更新日時】2020/04/10 23:46:26
|
※神社やお寺など日本文化の専門企業が算出している日本唯一のオリジナルデータですので、ご利用になりたい法人様やマスコミの方々は
こちらよりお気軽にご相談ください。
近くの神社・お寺
近くのお城
神社・お寺検索
※は必須です
※「神社・お寺両方」を選ぶと、一度に全て検索ができ大変便利です。プレミアム会員限定の機能となります。登録は
こちら。