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基本情報
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住所 |
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町大字下里123番地 |
五畿八道 令制国 |
南海道 紀伊 |
アクセス |
JR紀勢本線下里 徒歩5分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
0735-58-0165 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
(主祭神)健御名方神 (配祀神)誉田別命 青彦命 豊宇気毘売命 市杵嶋姫 健角身命 表筒男命 中筒男命 底筒男命 火産霊命 |
創建・建立 |
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旧社格 |
村社 |
由来 |
当社は、永禄八(一五六四)年六月二十三日創建、元諏訪神社と称し下里村の鎮守として字牛渕に祀られていた。宝暦十一(一七六一)年の大洪水に流失して現位置に鎮座する。明治六年四月村社となり、明治四十三年神社制度改正により、粉白、高芝、八尺鏡野、下里、天満の鎮守九社を合祀し社名を下里神社と改称する。大正元年九月幣帛供進神社に指定される。(天満天神社は、昭和二十年六月二十五日旧社地へ還宮する) 当社には、古くから伝わる御弓神事がある。例祭には下里の獅子舞(下里祭典部)高芝の獅子舞=和歌山県無形文化財=高芝の獅子舞保存会)があり、子供御輿も両区で行われる。 境内には、庚申塔(猿田彦尊 享保元年申九月四日)の碑が建立されている。下里護国神社には、二百十六柱の地区戦没者が祀られ、忠魂碑も(大正十年十二月)建立されている。 毎年二月十一日に行われる当社のお弓神事は、昔、旧暦正月十一日に、年頭行事として行われ、二十才の若者(徴兵令が布かれてからは適令者中から)四名を抽選によって定め、選ばれた若者は、三日間お宮にとまり外界との交渉を断って、毎朝太田川で水垢離を籠り、斎戒沐浴身を清めて弓射の稽古に励んだという。稽古初めには、神酒を頂き、当日は、直垂、烏帽子姿で、挙式のご的場に出て、神職先ず天地に向って二矢を放ち、つづいて交互に六本づつ的を射る。お的はそ木で編み(桧の木の柾目をうすくはいだもの)、的の中心(一の的)には鬼と印し、これを目あてに弓を射るのである。的にはサンマ二尾、餅米の花、濁酒を供え、的の中心を射た者に対しては、とくに祝福してお酒で祝い賞品などを贈った。的を拾って戸口にさしておくと、悪魔祓いになるといって争って奪いとる風があり、そのため的についている墨が顔や身体について大変だったという。式が終ると、お宮で直会があり、庄屋、組頭、肝煎(きもいり)の村役人をはじめ、弓子も加わって盛大に催されて、行事が終了する。現在も大体同じ法式で行なわれているが、昔と比べて変った点は、弓子の数が昔の四名から六名になったこと、弓子は近年中学生から選出するようになったこと。昔のように合宿して水垢離の行などすることも全くなくなったこと等である。 |
神社・お寺情報 |
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例祭日 |
9月15日(9月第3日曜日) |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】天地悠久
【
最終
更新日時】2021/02/03 23:31:24
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