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★★★★ 参拝日:2020年11月7日 14:02
バスde参拝 ~馬場下町~ 新宿駅から早稲田行きのバスに乗り、こんなところに辿り着いた。途中で花園神社も見えたけど、ついこないだ参拝したような気がするのでスルーで。 で、穴八幡宮、今日イチででかい神社で、拝殿はどんな工夫がされてるのか分からないけど、柏手を打つと響きがめっちゃ気持ちいい。気に入った。 ところで、このサイトには穴八幡宮の境内社が多数登録されているんだけど、どこにも見当たらない。 境内を二周くらい回っても見つからない。社務所の人に聞こうかと思ったけど、忙しいのに手を煩わせては申し訳ない。どういうことなんだろう?
★★★★★ 参拝日:2018年1月28日 00:00
大安でお札を頂きに来ている方が多く1時間半くらい並びました。この時期は御朱印がいただけないのは残念ですがまた参拝に行きます!
★★★★★ 参拝日:2022年5月19日 10:00
「一陽来復」の御朱印をご拝受。 御守り期間以外の参拝はめっちゃ久しぶり!
★★★★★ 参拝日:2022年1月24日 09:00
一陽来復のお守り、3年目のご拝受。 節分の夜中に忘れず貼ります。
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※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 東京都新宿区西早稲田2-1-11 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス | 地下鉄東西線「早稲田駅」 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 03-3203-7212 |
FAX番号 | 03-5273-5520 |
公式サイトURL | https://www.anahachimanguu.jp/ |
御祭神 | 応神天皇(おうじんてんのう)
仲哀天皇(ちゅうあいてんのう) 神功皇后(じんぐうこうごう) |
創建・建立 | 康平5年(西暦1062年) |
旧社格 | 村社 |
由来 | ○康平5年(1062年)奥州の乱を鎮圧した源義家(八幡太郎)がこの地に兜と太刀を納めて氏神八幡宮を勧請したのが当社の起源です。以来、永らく東北鎮護の社として祀られました。 ○寛永18年(1641年)宮守の庵を造るために南側の山裾を切り開いたところ「神穴」が出現した事から穴八幡宮と言われるようになり、同年この地に居住していた幕府の祐筆大橋龍慶が方百間の地を献じ、社殿を壮大に造営しました。 この頃神木の松から瑞光を放ち、色々奇瑞のあったことが、3代家光将軍の上聞に達し、当社を江戸城北の総鎮護として総営繕を命ぜられました。 ○慶安元年(1648年)社殿再興の折りに幕府から氏子として牛込郷三十六ヶ町が定められ、翌年の慶安2年(1649年)社殿を始め数々の殿舎が竣工し、8千8百余坪の境内地に壮麗な建物が櫛比して将軍家祈願所としての規模も整い、以後江戸屈指の大社として重んぜられました。 その後も幕府により数次にわたって造営・営繕が行われましたが、特に元禄16年(1703年)の造営は、江戸権現造り社殿として壮麗を極めました。 ○安政元年(1854年)青山火事のために類焼し、幕府より造営料などが奉納されましたが、幕末の多事と物価高騰のため仮社殿のまま明治維新を迎えました。その後、昭和初年に旧事の盛観に復しました。 ○今次大戦により社殿はことごとく罹災しましたが、戦後はいち早く仮社殿により再興しました。 ○平成元年(1989年)から慶安・元禄の江戸権現造りの当社設計絵図を基に御本殿御社殿の造営をはじめ、平成10年(1998年)の随神門竣工をもちまして往時を偲ぶ姿に復し、引き続きその他の再建、また境内地の整備に着手し今日に至っています。 |
神社・お寺情報 | ○江戸ハ所八幡宮 将軍家から崇敬を受けた八幡宮 ○「一陽来復」守りが有名 冬至から節分は授与を求める人が多数参拝 |
例祭日 | 9月15日 例大祭 |
神紋・寺紋 | 左三つ巴 |
更新情報 | 【
最終
更新者】ステイ 【 最終 更新日時】2024/11/03 12:28:42 |