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基本情報
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仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)
神功皇后(じんぐうこうごう)
○寛永18年(1641年)宮守の庵を造るために南側の山裾を切り開いたところ「神穴」が出現した事から穴八幡宮と言われるようになり、同年この地に居住していた幕府の祐筆大橋龍慶が方百間の地を献じ、社殿を壮大に造営しました。
この頃神木の松から瑞光を放ち、色々奇瑞のあったことが、3代家光将軍の上聞に達し、当社を江戸城北の総鎮護として総営繕を命ぜられました。
○慶安元年(1648年)社殿再興の折りに幕府から氏子として牛込郷三十六ヶ町が定められ、翌年の慶安2年(1649年)社殿を始め数々の殿舎が竣工し、8千8百余坪の境内地に壮麗な建物が櫛比して将軍家祈願所としての規模も整い、以後江戸屈指の大社として重んぜられました。
その後も幕府により数次にわたって造営・営繕が行われましたが、特に元禄16年(1703年)の造営は、江戸権現造り社殿として壮麗を極めました。
○安政元年(1854年)青山火事のために類焼し、幕府より造営料などが奉納されましたが、幕末の多事と物価高騰のため仮社殿のまま明治維新を迎えました。その後、昭和初年に旧事の盛観に復しました。
○今次大戦により社殿はことごとく罹災しましたが、戦後はいち早く仮社殿により再興しました。
○平成元年(1989年)から慶安・元禄の江戸権現造りの当社設計絵図を基に御本殿御社殿の造営をはじめ、平成10年(1998年)の随神門竣工をもちまして往時を偲ぶ姿に復し、引き続きその他の再建、また境内地の整備に着手し今日に至っています。
将軍家から崇敬を受けた八幡宮
○「一陽来復」守りが有名
冬至から節分は授与を求める人が多数参拝

【 最終 更新日時】2022/07/10 10:32:13