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住所 | 岡山県岡山市中区東山1-3-81 |
五畿八道 令制国 |
山陽道 備前 |
アクセス | 岡山電気軌道東山電停から東へ5分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 086-272-0407 |
FAX番号 | 086-273-7702 |
公式サイトURL | http://www.jinja-jp.net/tamaiguu |
御祭神 | 豊玉比売命(とよたまひめのみこと) 玉依比売命(たまよりひめのみこと) 彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと) 徳川家康(とくがわいえやす) |
創建・建立 | |
旧社格 | 県社 |
由来 | 本社は元児島郡小串村大字光明崎(今は米崎)に鎮座されていたが、応徳2年(1085)当東山に移転遷座して玉井宮と称せられるようになった。この遷座にあたり、次のような伝説がある。 その頃、社のあった山頂から、毎夜怪光が海面を照らし魚が恐れてよりつかず、猟師たちは困って其の事を神前に告げ、ご神託を受けた。ご神託は「御幣が舞い上がり飛んで行き上道郡門田の山中に立つ、そこへ遷座せよ」というものであった。その御幣が飛来し立った所がこの地(故にこの山を幣立山という)で、社名を玉井宮または玉の宮と称した。 その後、正保2年(1645)藩主池田光政公の命により、この地に東照宮を勧請するにあたり、玉井宮は、下の広場(今の駐車場)へ遷座され、国内別格5社の1社に列せられた。 明治14年(1881)玉井宮と東照宮は合祀され、社名を玉井宮東照宮とし、県社に列格した。明治33年(1900)旧玉井宮の建物を移転し、西日本屈指の大拝殿の建立等大造営が行われた。その立派な社殿郡も平成元年(1989)1月31日未明不慮の火災により、幣拝殿・神饌所・社務所・参集所等焼失した。しかし、氏子崇敬者の尽力により、4年の歳月をかけ現在の姿に復興した。 ご利益として、嘉永3年(1850)高松中納言季実卿の執奏により、皇后ご安産のご祈願を行い、当時の祠官佐々木左兵衛介は上京参内しお守り札を献上している。その時高松中納言から「大君の御子のいのりの功績を雲井に高くきこえあげたり」という和歌が下され、ご祭神のいわれとともに安産の神様として崇敬を集めてきた。 |
神社・お寺情報 | |
例祭日 | 7月30日 : 夏祭10月24、25日 : 秋祭 |
神紋・寺紋 | 未登録 |
更新情報 | 【
最終
更新者】ロビン 【 最終 更新日時】2023/02/17 23:07:15 |