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基本情報
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住所 |
山口県防府市大字大崎1690番地 |
五畿八道 令制国 |
山陽道 周防 |
アクセス |
JR山陽本線防府 徒歩41分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
0835-21-3915 |
FAX番号 |
0835-21-3915 |
公式サイトURL |
|
御祭神 |
玉祖命(たまのおやのみこと)
外 一座不詳 |
創建・建立 |
不詳 |
旧社格 |
国幣中社 |
由来 |
天照大神の天岩戸隠の時の神事で、玉祖命は八坂瓊曲玉を造られ、その後天孫瓊々杵尊が日向国に降臨の時、供奉した五伴緒神の一柱として、国土統治の御創業を補佐されたことは記紀に載るところである。
社伝では、この後に玉祖命は、大前(大崎)に住居して中国地方を平定し、ついにこの地で神去りましたという。
亡きがらは御祖の地(江良の玉の岩屋)に葬り、その威霊を祀ったのが当社の起源と伝える。
創建年月は不詳であるが、以後玉造連玉祖氏が祭祀を司ったと思われる。
奈良時代の天平10年(738年)、周防国正悦帳に「祢奇(祢宜)・玉作部五百背」の名が、更に平安時代の長徳4年(998年)、『今昔物語』巻17に「玉祖惟高」の名が見える。
社記には「景行天皇12年(82年)征西の砌、周防娑婆に行在所を設けられたのが、玉祖神社北方の宮城の森である」と伝える。
この時「霞山(江良)に天八神を祀り、同時に玉祖神社創建の土祭があった」と言う。
また、「仲哀天皇・神功皇后征西の時に、神社西の寄江という浜に着船し、高田の土を以て澤田長(佐野焼陶工の始祖)に三足の土鼎とひらかを造らせ、神供を供えて軍の吉凶を卜された」とある。
これが、今も伝わる占手神事の起源である。
確実な史料で沿革をたどると、奈良時代の天平8年(736年)より10年(738年)までの3年間、朝廷から玉祖神社領の田租穀39石2斗八升が奉免された。
翌年は周防国の正税より頴稲3,834束を神税として奉納され、祢奇玉作部五百背にも200束が神命によって給された。
平安時代の大同元年(806年)には、従来の封戸10戸のほかに5戸を賜わり、貞観9年(867年)には、社格が神階従三位に昇った。
さらに、康保元年(964年)には、神階が正二位から従一位に昇った。
ついで、永万元年(1165年)、神祗官から名神諸社に進物が下された際、大榑(材木)300寸が給された。
鎌倉時代の建久6年(1195年)、俊乗坊重源が周防に下向していうには、「東大寺再興の功は偏に玉祖大明神の加護によるところ」とした。
そこで当社造替の工事を起し、神宝を調進して遷宮の儀を終えた。
この時、日別供料として料田10町歩の田地が奉免された。
その後建武2年(1335年)、大内弘幸が重源と同一規模の社殿の造営を行い、神宝を調進した。
室町時代の文明11年(1479年)、大内政弘に当社から差出した「一宮玉祖神社御神用米在所注文」では、社領が大前村・宇野令・湯田保・黒河保・千代丸・下松出作・富海保・西仁井令・佐波令・平井など、佐波郡から吉敷郡の10個所に及んでいる。
明応6年(1497年)、大内義興が周防五社詣でのため参詣し、神馬を寄進している。
安土桃山時代の天正17年(1589年)、毛利輝元が社領200石を寄進する。
この年より文禄5年(1596年)までの「打渡坪付帳」には、法金剛院・得楽坊・正満坊・善得坊・正法院・宝持院・蔵満坊・行泉坊・菊楽坊の九社坊の名が見える。
しかし、江戸時代の慶長3年(1598年)には、社殿・社人の屋敷と共に九社坊が悉く焼亡し、慶長14年(1609年)に、毛利秀就がようやく社殿だけ再興する。
しかしながら、往事に比して今回はいかにもささやかな社殿であった。
寛延3年(1750年)、毛利宗広によってようやく本格的な社殿造替工事が行われた。
さらに、安政元年(1854年)には藩主による社殿の大修繕が行われた。
明治4年(1871年)、太政官布告により、当社は国幣小社に列した。
その後、同6年(1873年)、佐野の若宮社、同10年(1877年)には浜宮御祖神社が当社の摂社となった。
同11年(1878年)には、官費によって社殿が大々的に改修された。
大正4年(1915年)国幣中社に昇格。
昭和11年(1936年)、眼鏡業者等の協力を得て斎館を新築し、社務所を改築した。 |
神社・お寺情報 |
延喜式内社、周防国一宮、別表神社(神社本庁)、玉祖神社の総本社 |
例祭日 |
9月25日に近い日曜日 例祭 |
神紋・寺紋 |
未登録
|
更新情報 |
【
最終
更新者】matsuyoshi49
【
最終
更新日時】2020/10/31 10:21:05
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