みんなの御朱印
自分の御朱印
まだ御朱印が登録されていません
みんなの参拝記録
自分の参拝記録
まだ参拝記録が登録されていません
みんなの動画
自分の動画
まだ動画が登録されていません
基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 |
愛媛県松山市畑寺町440番地 |
五畿八道 令制国 |
南海道 伊予 |
アクセス |
伊予鉄横河原線北久米 徒歩14分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
089-931-8364 |
FAX番号 |
089-931-8364 |
公式サイトURL |
|
御祭神 |
誉田別尊(ほだわけのみこと 17代 応神天皇) 足仲彦尊(あしなかひこのみこと 16代 仲哀天皇) 息長足姫尊(いきながたらしひめのみこと 神功皇后) 姫大神(ひめのおおかみ) 大山積神(おおやまずみのかみ) 雷神(いかづちのかみ) 高神(たかおがみのかみ) 【配神】 天津彦火瓊々杵尊(あまつひこほににぎのみこと) 木花咲夜姫命(このはなさくやひめのみこと) 岩長姫命(いわながひめのみこと) 菅原道真(すがわらみちざね) 合祀社神 |
創建・建立 |
|
旧社格 |
|
由来 |
【桑原八幡神社】 社記によれば桑原村古宮に姫大神鎮座、履中天皇(400~405)の勅願所であったという。貞観元年(859)四月八幡宮を合祀し、延久年間(1069~1073)伊予守源朝臣頼義公が当国鎮護として八社八幡宮を定め、二番社として社殿再建、祭器料として神田を献じた。寛治二年(1088)現在地に移転、元弘三年(1333)八月河野通村が主社殿を再建、文中三年(1374)四月兵火に躍り神宝社記悉く焼失したが天授二年(1376)八月河野通定が社殿を再建し、天文十一年(1542)八月河野通康が主社殿再建、寛永十二年(1635)十二月国命で社殿を再建した。寓治二年(1659)松山藩主松平走行が束野へ別荘を建て、当社を祈願所と定めて鼓一個紋付提灯を奉納、祭祀の節に忌竹を献納した。延宝七年(1679)五月社殿再建、正徳五年(1715)八月石鳥居を建立した。 【三島神社】 仁徳天皇の御代(420頃)に創建と伝えられている。聖武天皇神亀五年(728)八月越智玉純が大三島より雷神、高神を勧請合祀して三島宮と定め、三島新宮と称え、圭田を献納し、爾後郡司幣帛を奉って祭典を厳修した。延久年間(1069~1073)伊予守源朝臣頼義が社殿再建、弘安四年(1281)九月河野対馬守通有が奉賽、社殿を再建した。文中三年(1374)三月兵火に罹り、神宝古器等を焼失、天授二年(1376)八月河野通定が社殿再建した。萬治二年(1659)三月松山藩主松平隠岐守定行が東野へ別荘を建てて以来、当社を崇敬し、紋付提灯を奉納、祭祀の節には年々忌竹を献じた。宝暦十二年(1762)火災にて神宝社記を焼失、同年二月社殿を再建した。 【桑原八幡神社・三島神社】 鎮座する位置から、桑原八幡神社は『東の宮』、三島神社は『西の宮』とも呼ばれて親しまれておりましたが、昭和四十六年(1971)桑原八幡神社に三島神社を合祀して、現在に至っています。 |
神社・お寺情報 |
|
例祭日 |
1月 1日 歳旦祭 7月31日 夏越祭 10月 6日 例祭 |
神紋・寺紋 |
未登録
|
更新情報 |
【
最終
更新者】かけみず
【
最終
更新日時】2018/01/03 18:24:46
|
※神社やお寺など日本文化の専門企業が算出している日本唯一のオリジナルデータですので、ご利用になりたい法人様やマスコミの方々は
こちらよりお気軽にご相談ください。
近くの神社・お寺
近くのお城
神社・お寺検索
※は必須です
※「神社・お寺両方」を選ぶと、一度に全て検索ができ大変便利です。プレミアム会員限定の機能となります。登録は
こちら。