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★★★★ 参拝日:2017年9月3日 00:00
拝殿が立派でした。
★★★★★ 参拝日:2019年6月2日 12:10
御田植祭に行って来ました。拝殿前にかわいい?巫女さんがいて名刺をいただきました。
★★★★★ 参拝日:2018年6月3日 00:00
やはり伝統って素晴らしい。
参拝日:2020年10月22日 00:00
創建時期は不詳。当社側は「神代の昔、国生みの大業を終えられた伊邪那岐大神は高天の原からこの峠(杉坂峠)に天降られ」としています。この「杉坂峠」というのは当社東6kmほど、標高600mほどの山中。現在の多賀町「栗栖」や「杉」の辺り。そこには「三本杉」という当社御神木があるとのこと。「(この峠に天降られ)休息をなさった時に、土地の老人が粟の飯を献上した。大神はご機嫌麗しくお召し上がりになり、食後その杉箸を地面に刺したところ、その杉箸が根付き…」と。その後峠を下り着いた「芹川」で行宮を営んだとされ、これが現在の調宮神社。当社御旅所にもなっており御輿渡御があり、また当社奥宮または元宮とも。この時伊邪那岐大神は「くるし(苦し)」と言ったとされ、それが転じて「栗栖」になったと。そして終に伊邪那岐大神は当地に。「日之少宮(ひのわかみや)」とも称されているとしています。
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住所 | 滋賀県犬上郡多賀町多賀604 |
五畿八道 令制国 |
東山道 近江 |
アクセス | 近江鉄道多賀線多賀大社前 徒歩7分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0749-48-1101 |
FAX番号 | 0749-48-2029 |
公式サイトURL | http://www.tagataisya.or.jp |
御祭神 | 伊邪那岐大神
伊邪那美大神 |
創建・建立 | (伝)上古 |
旧社格 | 式内社 官幣大社 別表神社 |
由来 | 伊邪那岐命 伊邪那美命二柱を奉齋し古来寿命長久、病気平穏 縁結びの神として全国に広く崇敬者を有している。鎮座年代は『古事記』上巻に「伊邪那岐大神者、坐淡海之多賀」と見え、古事記が撰進された年代からして鎮座は8世紀以前といえる。『延喜式』巻十に「多可神社二座」と見え、伊邪那岐命、伊邪那美命の2神共に国幣に預かられた事がわかる。鎌倉時代には神官権御家人による衆議制により神社が運営された。後醍醐天皇のとき五辻宮守良親王が朝敵誅伐を祈請せられ多賀庄半分を社領として寄進、室町末期従前の衆議機関に代って神宮寺である別当不動院が台頭し守護職佐々木一統、後には信長、秀吉の擁護も会って坊人達の活躍は目覚しく、諸国に御神札を配し民衆にその後神徳を広めた。特に秀吉は天正16年生母大政所の病気平穏、延命の祈願を寄せ、その御礼として米1万石を寄進された事は有名。元和15年徳川秀忠より350石の神領の寄進を受け、寛永15年には不動院大僧都慈性が徳川幕府の助力によって本殿以下諸堂社、末社に至るまで大造営がなされた。降って慶安4年井伊家より150石の神領が加増された、明治10年県社兼郷社、同18年官幣中社、大正3年官幣大社に昇格、昭和5年より8年にかけ昭和の大造営が行われ社頭の面目を一新した。近年では中世以来の信仰を受け継いだ多賀講を始め、崇敬会、豊年講、養蚕講等の崇敬者を中核として東海、近畿を始め全国に多くの崇敬者を有している。尚本社の他摂社、日向神社(祭神 瓊々杵尊)山田神社(祭神 猿田彦大神)は式内社である。 |
神社・お寺情報 | 式内社 多何神社 二座 の比定社
[境内摂社 日向神社] 式内社 日向神社の比定社 別表神社 当社は中世から近世にかけて伊勢・熊野とともに庶民の参詣で賑わった。 「お伊勢参らばお多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる」 「お伊勢七度 熊野へ三度 お多賀さまへは月参り」 との俗謡もあり、ここに見る「お多賀の子」とは、伊勢神宮祭神である天照大神が伊邪那岐命・伊邪那美命両神の御子であることによる。 神仏霊場巡拝の道第133番(滋賀第1番) |
例祭日 | 4月22日 |
神紋・寺紋 | 左三つ巴 虫くい折れ柏の紋 |
更新情報 | 【
最終
更新者】重複表現を修正しました。 【 最終 更新日時】2024/08/25 20:55:30 |