埼玉県春日部市一ノ割1丁目30−4 一ノ割香取神社の写真1
埼玉県春日部市一ノ割1丁目30−4 一ノ割香取神社の写真2
埼玉県春日部市一ノ割1丁目30−4 一ノ割香取神社の写真3
埼玉県春日部市一ノ割1丁目30−4 一ノ割香取神社の写真4
埼玉県春日部市一ノ割1丁目30−4 一ノ割香取神社の写真5
 3.2

一ノ割香取神社  (いちのわりかとりじんじゃ)


埼玉県春日部市一ノ割1丁目30−4

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一ノ割香取神社の参拝記録1
1
146
wanderer さん
★★★ 参拝日:2014年1月2日 00:00

りんごぐみさん
★★★ 参拝日:2024年2月12日 10:22
狛犬が口紅を塗っているように見える。色が飛んでないところを見ると塗り直してそんなに経ってないのかな。

miyumikoさん
★★★ 参拝日:2024年1月9日 15:30

ムンクさん
★★★★ 参拝日:2023年11月11日 09:31

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基本情報


※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 埼玉県春日部市一ノ割1丁目30−4
五畿八道
令制国
東海道 武蔵
アクセス 東武伊勢崎線一ノ割 徒歩3分
御朱印授与時間
電話番号
FAX番号
公式サイトURL
御祭神 ・経津主神〔・建御名方神・事代主神・菅原道真〕
創建・建立
旧社格
由来 境内掲示板
香取神社御由緒
 春日部市一ノ割一-三〇-四
□御縁起(歴史)
 大落古利根川と元荒川の間の平野に広がる農業地域の一角に位置する一の割は、古くは「市野割」もしくは「一割目」ともいい、地内にある円福寺の住職祖岌が文禄元年(一五九二)に書き記した同寺の縁起によれば、岩付城主太田氏の家臣井上将監が岩付城の落城後に当地で帰農したと伝えられる。当社は、創建の年代は明らかではないが、前述の円福寺の縁起には、元は新方領の総鎮守で、行基作の十一面観音を本地仏として祀ることや、享徳三年(一四五四)に、末太郎という者が奇異の霊護を蒙り鰐口を寄進したこと、平方村林西寺中興の呑竜和尚が祈願して霊験を得たことなどが記されている。
 一方、『風土記稿』市野割村の項には、これらの話と共に、「一の割の村内にある堤は、かつては『江曽堤』とも呼ばれ、当社はこの堤の上に鎮座していたが、当地を開発した井上将監と大熊弾正という者が力を合わせて現在地の境内地に引き移した」という話も見える。ここにいう「江曽堤」は、当社の西三〇〇メートルほどの所にあったが、今では小高い盛土に面影をとどめるばかりとなっており、『明細帳』によれば当社がそこから現在の社地に移ったのは天正年間(一五七三-九二)のことであるという。また、前述の鰐口は、昭和十年代に盗まれてしまったが、「風土記稿」の挿図から「享徳三年本願末太郎 新方壮一披目香取大神鰐口」の銘があったことがわかる。

境内碑
記念碑
由来
 当、一ノ割香取神社は、創建の年代は明らかでないが、ご祭神に経津主神をいただき、円福寺の縁起によると、元は新方領の総鎮守で行基作の十一面観音を本地仏とし、祀ることや、享徳三年(一四五四年)末太郎と言う者が奇異の霊護を蒙り、鰐口を寄進した事、平方村林西寺中興の呑竜和尚が祈願して霊験を得たことなどが記されている。一方、風土記稿にはこれらの話しと共に当地域は江曽堤とも呼ばれ現在地より西、三百メートルほどのところに当社が鎮座していたが、天正年間(一五七三~九二)現在地に移ったという。又鰐口は昭和十年代に紛失してしまったが風土記稿の挿図から享徳三年本願末太郎新方壮一披目香取大神鰐口の銘があったことがわかる。
風土記稿に香取神社は、村の鎮守にて円福寺にあづかれりと記されているように、当社は江戸時代には隣接する円福寺によって祭祀が行われていたが、神仏分離により円福寺の管理を離れ、明治二年村社に列格し、明治四十二年新方領耕地整理と共に当地の無格社稲荷社、諏訪社、三島社、天神社を合祀し、後に現八幡神社宮司家が継ぎ昭和二十四年宗教法人香取神社となる。当神社で行われる祭事としては、元旦祭、お備社(三月一日)祭礼(七月十三日)二百十日(九月一日)新穀感謝祭(十二月六日)がある。且ては祭のある日には氏子全員で鎮火香取大神と刻したおおのぼりを立てたものであった。このおおのぼりは江戸の大火に当地の氏子が火消しに出て鎮火せしめ、その功績に江戸幕府から鎮火香取大神は称号を送られたものである。以後火防の神として信仰を集めるようになった。現在毎年十二月二十五日に配布される御札も鎮火香取大神と刻印されている。
又当社の境内には富士塚があり、万延元年(一八六〇年)から明治中期に至る迄の多数の建塚あり、これらは地元の人々によって建立されたものである。
一ノ割地区は本田(現町会は第一~第三)・根耕地・新田(新田大沼地区)三地区からなっており、高地の本田・根耕地は畑作、新田は低地の為稲作が中心であった。戸数も九十戸余りであったが、昭和四十年代の高度経済成長に合わせて東京のベッドタウンとして人口が急増し、農業地帯から住宅地へと変化し、現在では四千世帯になろうとしている。これも先人の努力と英知の結果であると思い、ここに拝殿・境内整備の完成を期に尚一層の発展を願い記念碑に記し長く後世に伝えるものである。
   一ノ割香取神社氏子中

新編武蔵風土記稿
埼玉郡市野割村
香取社
村ノ鎭守ニテ圓福寺アツカレリ村內ニワツカノ堤アリ當所ニテハ其名ヲ唱ヘサレト粕壁宿ノ邊ニテハ江曾堤トヨヘリ此社古ヘ其堤上ニアリシヲ前ニイヘル井上將監及ヒ大熊彈正ナトイヘルモノ力ヲ合セ當所ニ引移セリト云文錄元年圓福寺ノ住僧祖岌カ書セシ緣起アリ其畧ニ當社元新方領ノ惣鎭守ニテ本地十一面觀音ハ行基ノ作ナリ昔享德三年末太郞トイヘルモノ奇異ノ靈護ヲ蒙リ鰐口ヲ寄進セリ又平方村林西寺中興呑龍和尙立願セシニ其驗アリシコトナトコマコマト書ツゝレトサセル證トスヘキコトモアラサレハ其要ヲ摘テコヽニ錄ス
神社・お寺情報
例祭日 ・元旦祭(一月一日)・お備社(三月一日)・祭礼(七月十三日)・二百十日(九月一日)・お日待(十月九日)・新穀感謝祭(十二月六日)
神紋・寺紋 未登録
更新情報 【 最終 更新者】ムンク
【 最終 更新日時】2023/11/11 15:40:55
 
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