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★★★★ 参拝日:2018年12月8日 00:00
駐車出来そうな感じでしたが近くの工事中の為か入り口に警備員がいました。
★★★ 参拝日:2018年8月13日 13:11
【授与所】 お守りやお札あり
★★★ 参拝日:2019年5月23日 11:15
★★★★★ 参拝日:2018年1月29日 00:00
ご朱印 『京都霊山護国神社』
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住所 | 京都府京都市東山区清閑寺霊山町1 |
五畿八道 令制国 |
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アクセス | 京阪本線祇園四条 徒歩13分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 075-561-7124 |
FAX番号 | 075-531-0972 |
公式サイトURL | http://www.gokoku.or.jp/ |
御祭神 | 霊山官祭招魂社に於て奉祀せる祭神は549柱であって、古くは天誅組の首将中山忠光卿を始めとし梁川星巌、梅田雲浜、頼三樹三郎、月照信海、来島又兵衛、久坂玄瑞、寺島忠三郎、入江九市、坂本龍馬、中岡慎太郎、吉村寅太郎、平野国臣、宮部鼎蔵、真木和泉守等その功績は人の能く知るところである。
東福寺、大雲院、泉涌寺の官祭招魂社及び明治41年までの合祀を含め勤王の祭神数は1,356柱である。 爾来日清、日露、満州、支那、大東亜の各戦役に戦歿せる英霊を合祀し今日に至る。(平成13年10月13日現在 73,011柱の祭神) |
創建・建立 | 明治元年(西暦1868年) |
旧社格 | 内務大臣指定護国神社 別表神社 |
由来 | 1862年(文久2年)、時衆霊山派の正法寺の朱印地のなかの神道葬祭場霊明社において有志者による神葬祭が行われた。祭神は菊理媛神・速玉男命・事解男命の3神(他に相殿3神)。
1868年6月29日(慶応4年5月10日)、明治天皇から維新を目前にして倒れた志士たち(天誅組など)の御霊を奉祀するために、京都・東山の霊山の佳域社を創建せよとの詔・御沙汰が発せられた。それに感激した京都の公家や山口・高知・福井・鳥取・熊本などの諸藩が相計らい京都の霊山の山頂にそれぞれの祠宇を建立したのが神社創建のはじまりであり、招魂社である。靖国神社より古い歴史を持つ。 当初の社号を霊山官祭招魂社と称し、社格にはとくに「官祭社」に列し国費で営繕されてきた。1936年(昭和11年)、支那事変(日中戦争)をきっかけとして国難に殉じた京都府出身者の国事殉難者を手厚く祀ろうという運動がおき、霊山官祭招魂社造営委員会が組織され、境内を拡大して新たに社殿を造営した。 霊山歴史館 1939年(昭和14年)4月1日、内務大臣布告によって現在の社号である京都霊山護国神社と改称された。戦後は宗教法人・神社本庁の包括下におかれ、国家の手を離れた。GHQ占領下においては京都神社に改称していたが、独立後は元の社名に復した。1970年(昭和45年)、境内に明治維新関係の資料を展示する「霊山歴史館」が開館した。2002年(平成14年)、神社本庁との包括関係を解消。 祭神の中には京都で暗殺された坂本龍馬も含まれており、境内に銅像が作られているほか、誕生日であり命日でもある11月15日には、龍馬の遺徳を偲び霊を慰める龍馬祭が行われる(誕生日・命日は本来は旧暦11月15日だが、祭は新暦11月15日に行われる)。 龍馬のほかに、木戸孝允、中岡慎太郎、頼三樹三郎、梅田雲浜、吉村寅太郎、平野国臣、久坂玄瑞、高杉晋作、所郁太郎、宮部鼎蔵、田岡俊三郎ら幕末勤王の志士1,356柱、明治以降の日清戦争、日露戦争、太平洋戦争などの戦死者を合わせ約73、000柱が祭神として祀られている。 また、平成24年4月には特攻勇士の像が建立された。 |
神社・お寺情報 | |
例祭日 | 4月28日(春季例大祭) 10月14日(秋季例大祭) |
神紋・寺紋 | 未登録 |
更新情報 | 【
最終
更新者】みつを 【 最終 更新日時】2021/12/31 10:37:38 |