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★★★★ 参拝日:2020年11月8日 11:10
「こいの宮」として有名なお社。 広島城の別名「鯉城(りじょう)」も「広島カープ」の「カープ(鯉)」もこちらのお社が由来とのこと。 鳥居参道は北側。 駐車場は無く、境内入り口付近から少し離れますが、踏切近くのコインパーキングに停めました。 鳥居をくぐると石段が見えます。 石段はおおよそ200段で、鳥居からご社殿までは約4〜5分ほどです。 ご社殿、境内は綺麗に整えられており、他にも御参拝の方々がいらしておられ、ご崇敬の厚さを感じました。 御朱印は社務所にて拝受致しました。 オリジナル御朱印帳(¥2,000-・御朱印込み)ありました。
★★★★ 参拝日:2019年11月12日 12:15
猫ちゃんに歓待して貰いました。
★★★★★ 参拝日:2018年2月11日 00:00
★★★★★ 参拝日:2023年10月2日 00:00
駐車場:なし (最寄りのコインパーキングから約10分) 御朱印:社務所で頂くことができます。 その他:鳥居から本殿までの階段が長く少し急なので注意が必要です。駐車場はないので、近くのコインパーキングに駐車します。
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住所 | 広島県広島市西区己斐西町12番10号 |
五畿八道 令制国 |
山陽道 安芸 |
アクセス | 広島電鉄宮島線広電西広島 徒歩3分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 082-271-1040 |
FAX番号 | 082-271-1090 |
公式サイトURL | http://asahiyamajinja.com |
御祭神 | 【主祭神】
息長帯日売命(おきながたらしひめのみこと) 品陀和気命(ほんだわけのみこと) 市杵島姫神(いちきしまひめのかみ) 湍津姫神(たぎつひめのかみ) 田心姫神(たごりひめのかみ) 【相殿神】 天児屋根命(あめのこやねのみこと) 菅原道真大神(すがわらみちざねのおおかみ) 柿本人麻呂命(かきのもとのひとまろのみこと) 帯中津日子命(たらしなかつひこのみこと) 太玉命(ふとたまのみこと) 素盞男(すさのおのみこと) 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ) |
創建・建立 | 不詳 |
旧社格 | |
由来 | 【頒布-リーフレット】こいの宮 己斐 旭山神社 御神徳 息長帯日売命 オキナガタラシヒメノミコト(神功皇后 ジングウコウゴウ)・品陀和気命 ホンダワケノミコト(応神天皇 オウジンテンノウ)の二柱を「八幡大神(ハチマンノオオカミ)」と呼びます。 旭山神社が通称「八幡(ハチマン)さん」と呼ばれているのはこの為です。 息長帯日売命 オキナガタラシヒメノミコト(神功皇后 ジングウコウゴウ)は、第14代仲哀天皇 チュウアイテンノウ(足仲彦命 タラシナカツヒコノミコト)の皇后で第15代品陀和気命 ホンダワケノミコト(応神天皇 オウジンテンノウ)の御母に当たられます。 このお二方は我国に大陸文化を積極的に輸入され古代日本の文化の隆興に努められ、また皇后は、天皇を懐妊されたまま九州遠征、朝鮮出兵をされましたが無事ご出産になり15代天皇として立派にお育てになりました。 これらの御事情により武運長久、文化興隆、安産、子育ての守護神として古くから全国的に崇敬されております。 市杵島姫神(イチキシマヒメノカミ)・湍津姫神(タギツヒメノカミ)・田心姫神(タゴリヒメノカミ)の三柱の神様を「宗像三女神(ムナカタサンメガミ)」と申し上げ九州福岡県に鎮座する元官幣大社「宗像大社」の御祭神で、宮島「厳島神社(イツクシマジンジャ)」の御祭神でもあります。 天照大御神の御子神であらせられ、道中安全の守護神として崇敬されています。 また、天照大御神がこの三女神に下されたお言葉により皇室、国体を守護する任務をお持ちになっています。 元来この三女神は水の神であり、農耕には灌漑用水を、海上交通には水路守護の神様として知られています。 御由緒 旭山神社の創建は、大変に古く不明であります。 伝説によるよ、御祭神である神功皇后が、仲哀天皇2年(西洋歴193年)に船で九州に向かわれる途中(三韓征伐)この山にお登りになり休憩されました。 その時出迎えた己斐の県主(アガタヌシ)が大きな鯉を献上したところ神功皇后は、「おお、こひ・こひ」と言って大変お喜びになりました。 その因縁によりこの地域を「こひ(己斐)」と呼ぶようになったと言い伝えています。 その後弘治元年(西洋暦1555年)10月1日(10月26日)高田郡吉田町の毛利元就が宮島で陶晴賢との合戦(世に「厳島の合戦」という)に向かう途中、戦勝祈願のため旭山神社に詣でました。 丁度夜明けで東の空に朝日が昇り輝き、元就は、「縁起がいい」と大変喜んで当社を「旭山八幡宮」と名付けました。 また、天正17年(西洋暦1589年)に毛利輝元が広島城を造営する時、その場所を決めるための下見にこの旭山神社に登ったと言われています。 当時の広島市は、ほとんどが海でした。 旭山神社の建っている山は、その海がつきだした岬の先端で山の下は、波が洗っていました。 その後この海を「こいの浦」と呼ぶようになり、広島城は「こいの浦」に造られた城ということから別の名前を「鯉城(リジョウ)」といいます。 昭和20年(1945年)8月6日に原子爆弾が広島に投下された時、旭山神社は原爆地から比較的遠距離のため、社殿は倒壊しましたが炎上は免れました。 因みに旧拝殿は、倒壊も免れています。 旧社殿 「手水舎(チョウズシャ)」のすぐ隣りに建っている建物です。 旭山神社の現在の社殿は、昭和12年(1937年)に新築されたものです。 それ以前はこの建物を使用していました。 この旧拝殿は天保14年(西洋暦1843年)の建立で原爆でも倒れませんでした。 正面入ってすぐ上に翁が舞う姿が描かれた大きな絵馬が掛かっております。 このため「絵馬堂」と称しています。 古い物が失われつつある広島市にとって貴重な建築物といえます。 鳥居 朱塗りの橋を渡って境内に入った処に大きな石の鳥居があります。 建立は、明治40年(1907年)丁未3月吉日で「石工 広島市天満町 俵谷勝次郎之作」と彫まれています。 鳥居に掲げている「旭山神社」の額の字は、明治8年(1875年)5月7日に土井百穀翁がその功績により二品有栖川熾仁親王殿下より賜った御親筆であります。 |
神社・お寺情報 | 【境内末社】 旭山稲荷神社 御祭神 宇迦之御魂神 御祭日 旧二の午 御神徳 宇迦之御魂神は「おいなりさ ん」と呼び親しまれており、 五穀豊穣、子孫繁栄、商売繁 盛の神様として崇敬されてい ます。 己斐胡子神社 御祭神 事代主大神 御祭日 11月20日 御神徳 事代主大神は「えべっさん」 と呼び親しまれており、招 福、商売繁盛の神様として崇 敬されています。 【境外末社】 大歳神社 鎮座地 己斐上二丁目 御祭神 大歳神 御祭日 4月第2日曜日 御神徳 大歳神は須佐之男命の御子 で、穀物の守護神即ち農耕の 神様です。 桂原天神社 鎮座地 広島市己斐町茶臼山 御祭神 菅原道真公 御祭日 4月25日 御神徳 菅原道真公は「てんじんさ ん」として親しまれており、 学問の神様として有名です。 |
例祭日 | 10月第3土曜日・日曜日 秋季大祭 |
神紋・寺紋 | 左三つ巴 |
更新情報 | 【
最終
更新者】あくん 【 最終 更新日時】2020/01/02 22:41:54 |