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★★★★ 参拝日:2019年4月7日 14:14
★★★ 参拝日:2021年1月29日 13:12
札所:板東三十三観音・第23番 関東百八地蔵・第59番 【授与所】 お守りやたくさんの御朱印あり 駐車場あり
★★★★★ 参拝日:2019年4月7日 13:48
御朱印 種類たくさんあります
★★★ 参拝日:2024年3月9日 00:00
御本尊は「十一面千手観世音菩薩」様で、諸願円満や人々の苦しみを除いてくれるといわれています。 門をくぐるとすぐに御朱印受付があります。
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住所 | 茨城県笠間市笠間1056−1 |
五畿八道 令制国 |
|
アクセス | JR水戸線笠間 徒歩23分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0296-72-1332 |
FAX番号 | |
公式サイトURL | https://shouhukuji.net/ |
御本尊 | 千手観世音菩薩 |
宗派 | 真言宗系単立 |
創建・建立 | 白雉2年(651年) |
由来 | この寺は、縁起などによると651年(白雉2年)猟師の粒浦氏によって創建されたと伝えられ、当初山号は三白山と号した。 1214年(建保2年)笠間氏の焼き討ちにあい焼失したが、その後笠間氏の帰依を得て笠間城内に再建され現在の山号に改められた。その後笠間氏の衰退とともに寺運も衰えた。 1590年(天正18年)宥明によって再興され勝福寺と改められたが、江戸時代に入り1686年(貞享3年)に正福寺となった。 明治初年の神仏分離に伴う廃仏毀釈により焼失して衰微し、本尊をはじめとする仏像などは散逸してしまったが、1930年(昭和5年)現在地に仮の本堂が建てられた。その後、寺号を観世音寺と称した時期もあったが、2012年(平成24年)に正福寺に改称された。 |
神社・お寺情報 | 正式名:佐白山 正福寺
佐白山 觀世音寺 佐白山 勝福寺 三白山 正福寺 別称:佐白観音 札所:板東三十三観音・第23番 関東百八地蔵・第59番 詠歌:夢の世に ねむりもさむる 佐白山 たえなる法や ひびく松風 境内掲示板 茨城県指定有形文化財 木造佐白観音坐像 一躯 指定日 昭和三十二年一月二十五日 像高 五八センチ 時代 鎌倉時代中期 この像は、寄木造り、白毫、玉眼嵌入、頭上には十一面を頂き、宝髪毛筋彫り、真手、宝鉢手の外三八手あり、金箔が置かれ鎌倉時代の写実的なようすがみられる。透し彫りの光背は平安時代後期のものである。 笠間市指定有形文化財 金銅仏十一面千手観音立像 一躯 指定日 昭和六十年二月二十六日 像高 七・七センチ 時代 平安時代末期 この像は、佐白山観世音寺本尊の胎内仏で、金属製鋳造の小立像である。臘型原型で鋳造され、青銅の上に鍍金されたものである。体側から出ている多くの手は、鎌倉時代初期の兵火による損傷が見られる。随所に優れた作りの面影を残し、とくに台座の蓮弁は美しい。平安時代の末期は、鋳造仏が少ないので貴重な仏像である。 木造毘沙門天像 一躯 指定日 平成九年九月十六日 像高 一一〇センチ 時代 嘉吉四年(一四四四) この毘沙門天像は、不動明王像と対で、嘉吉四年に制作されたものであると考えられる。像容は、甲冑をつけ右手に戟を持ち、左手に宝塔をささげている。邪鬼を踏まえて立ち、面相は忿怒形で相手を威圧する姿である。台座とも一三〇センチ余りの大きさで、光背は火災輪光がついている。 昭和五十七年(一九八七)に奈良国立博物館で修復した。 木造不動明王立像 一躯 指定日 平成九年九月十六日 像高 一〇二センチ 時代 嘉吉四年(一四四四) 本像は、一面二臂で莎髪の花形の髻を頭に頂き、弁髪で忿怒相をしている。体に条帛をまとい、光背は火焔光で燃え盛る炎を表している。 漆箔塗り仕上げである。胎内墨書銘によると、嘉吉四年(一四四四) に極楽寺へ奉納されたもので明治初期に玄勝院へ移され、昭和五年(一九三〇)に佐白観音堂が建てられたとき、本尊千手観音坐像の脇侍として安置された。 昭和五十七年(一九八七)に奈良国立博物館で修復を済ませ、保存状況は良好である。 笠間市教育委員会 |
例祭日 | 1月:元朝参り 2月:節分会 4月17日:春例大祭 12月31日:除夜の鐘 |
神紋・寺紋 | 未登録 |
更新情報 | 【
最終
更新者】thonglor17 【 最終 更新日時】2023/09/18 09:17:30 |