みんなの御朱印
自分の御朱印
まだ御朱印が登録されていません
みんなの参拝記録
自分の参拝記録
まだ参拝記録が登録されていません
みんなの動画
自分の動画
まだ動画が登録されていません
基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 |
宮崎県東諸県郡綾町大字入野1280番地-イ |
五畿八道 令制国 |
|
アクセス |
|
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
0985-31-6756 |
FAX番号 |
|
公式サイトURL |
|
御祭神 |
倭建命(やまとたけるのみこと)
弟橘媛(おとたちばなひめ)
大穴牟遅神(おおなむちのかみ) |
創建・建立 |
|
旧社格 |
村社 |
由来 |
入野神社の創建は古く、94代後二条天皇の徳治元年(1306年)の時、伊東氏の祈願所として建立され、代々祭祀を行っていた。 当初は鬼森権現といい、日本武命、大己貴命、橘姫命を祭っていた。 しかし、時を経て現亀3年5月(1573年)日向の真幸飯野において伊東氏が島津氏と戦って敗退した。 天正5年2月伊東氏がついに滅亡し、島津氏が日向の国を支配することとなり、島津氏はを鬼森権現の神職と定め、社領45石を神社に寄進し、屋敷を与えて武運長久のため祈願をして捧げものを奉納するようになった。
しかし天正15年、豊臣秀吉の薩摩討伐の軍がこの地に至り、神社仏閣に乱入し社殿に放火し古器物焼き払ってしまった。 薩摩討伐鎮圧後、焼け跡から鏡一面と木像などを塵芥の中から発見して、そのまま神鏡は伝わり、神社の所有管理は氏子である領民に委ねられ、入野村民が協力して社殿を再建したと伝えられる。
明治5年鬼森権現を入野神社と改められ、明治44年9月22日の台風で社殿が倒壊したが、早速氏子の奉仕によって、明治45年に再建されて現在に至っている。 |
神社・お寺情報 |
|
例祭日 |
十月二十二日 |
神紋・寺紋 |
未登録
|
更新情報 |
【
最終
更新者】ruin
【
最終
更新日時】2018/08/27 21:02:16
|
※神社やお寺など日本文化の専門企業が算出している日本唯一のオリジナルデータですので、ご利用になりたい法人様やマスコミの方々は
こちらよりお気軽にご相談ください。
近くの神社・お寺
近くのお城
神社・お寺検索
※は必須です
※「神社・お寺両方」を選ぶと、一度に全て検索ができ大変便利です。プレミアム会員限定の機能となります。登録は
こちら。