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★★★ 参拝日:2023年8月13日 19:00
★★ 参拝日:2020年10月11日 00:00
参拝日:2024年9月28日 14:15
参拝日:2024年9月8日 00:00
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住所 | 千葉県旭市桜井1264 |
五畿八道 令制国 |
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アクセス | |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0479-68-3387 |
FAX番号 | |
公式サイトURL | https://www.kajiro.jp |
御祭神 | 木花咲耶姫命 (このはなさくやひめのみこと) 伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと) |
創建・建立 | |
旧社格 | |
由来 | 由緒 当神社は、上代家の本務社である東庄町舟戸の「左右大神(白鳳12年[683年])」の境外社として櫻井の地に鎮座しており、御祭神に木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)を奉齋しております。 勧請の年月は、詳らかではありませんが極めて古く、祖先が第十二代景行天皇の御代、この地に移住開拓の折に郷土鎮護の守護神としてお祀りしたことが始まりと伝えられております。当時、どのような形態でお祀りされていたのか、御祭神が現在と同じ三柱であったかのは定かではありません。 宝暦3年(1753年)、櫻井村の村長を願主として広く信徒の協賛により再建され、その際、香取神宮 大宮司を迎え盛大に遷座の儀式が執り行われました。 天保2年(1831年)、上代郷八ヶ村の氏子中の奉賛により御神輿を修造し、併せて太々神楽を奉納され、以来暫くの間継続して神楽は執り行われておりましたが、その後、諸事情により当社での奉納は途絶え、左右神社及び柳辺(旭市萬歳)の天満稲荷神社氏子へと伝えられ奉納されるようになりました。現在は、左右神社でのみ春の例祭にて神楽の奉納がされております。 その後、5回に亘る御社殿の修繕、定期的な鳥居の改修が行われ現在に至っております。 特に大正時代の一時期、昭和の戦中戦後の社殿、境内の荒廃は酷く、これを看過するに忍びなく、どうにか再興するべく敬神の念篤き有志等(現在の旭市中和地域、万力、鏑木、秋田地区)、旧縁深き上代郷八ヶ村(現在の旭市櫻井、万歳、溝原、関戸、東庄町東部地域)の人々により再建されて参りました。 毎年、10月中旬から下旬には、お子安講として盛大に講社祭が執り行われ、広範囲から訪れた多くの婦人の方々に御神札が授与されておりました。 |
神社・お寺情報 | 櫻井子安神社について 子宝神社 縁結び神社 櫻井子安神社 御祭神 木花咲耶姫命 (このはなさくやひめのみこと) 木花咲耶姫命は、桜の美しさを象徴する女神です。 古来、日本人は花が盛大に咲き誇るように、社会の発展や物事の繁栄を連想してきました。 神話では、日本の山の神様であるオオヤマズミ神の娘で、天孫ニニギ命と結婚して、その日継ぎの御子、天照大神の子孫を生む神母とされています。 また、富士山の神でもある木花咲耶姫命は、民間信仰の子安神と結びついて、子授け、安産、縁結びの神として庶民生活に密着して広く信仰されています。 伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと) この二柱の神様は、古事記にもあるとおり神話のなかに一番最初に登場する夫婦神です。 数々の国土を誕生させる「国生み」や、八百万の神を誕生させた「神生み」を行いました。このことから、縁を結ぶ神、夫婦婚姻の神、子授安産の神とされています。 この二柱の神を祀ることによる御神徳は、神々の生みの親というところから行く先々でのさまざまな神の御守護をうけられるとして、上記の他に延命長寿、縁結び、産業繁栄、商売繁盛、出世開運、学業成就、無病息災と幅広いものとされています。 |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | 未登録 |
更新情報 | 【
最終
更新者】まっきー 【 最終 更新日時】2024/01/01 18:20:44 |