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基本情報
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住所 |
埼玉県蓮田市 |
五畿八道 令制国 |
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アクセス |
JR宇都宮線蓮田 徒歩18分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
大日孁貴命 (天照大神) 菅原道真 |
創建・建立 |
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旧社格 |
旧村社 |
由来 |
境内掲示板
黒浜・久伊豆神社
蓮田市大字黒浜一三四六
祭 神
大己貴命 大日孁貴命 (天照大神) 菅原道真
主要祭日 春祭 四月十五日
例祭 十月九日
秋祭 十一月二十三日
この神社は、室町時代の享禄年間(一五二八年~一五三三年)に騎西の玉敷神社より久伊豆大明神を勧請したことが起源で、江戸時代の慶長十六年(一六一一年)勝俊正が願主となり創建されたと伝えられている。
「新編武蔵風土記稿」には「久伊豆神社、宝蔵院持」と記載されている。宝暦二年(一七五二年)には、神祇管領ト部兼雄より久伊豆大明神の幣帛をうけている。
以後、明治元年(一八六八年)には、神仏分離で宝蔵院から離れ同六年(一八七三年)四月、村社となった。同四十三年(一九一〇年)には、菅原神社が合祀された。
なお、昭和五十八年四月に本殿が蓮田市有形文化財に指定された。
平成元年三月
埼玉県 蓮田市
「黒浜の久伊豆神社」 蓮田市黒浜一三四六
蓮田市には七つの久伊豆神社があり、すべて元荒川流域のみに分布しています。これは舟での運搬が深く関係しており、川の流れに沿って土地が開発されていったからではないかと思われます。したがって、「久伊豆」の神は、農作の神、水の神としての性格を持ち、稲作の信仰として祭られたと考えられ、当時の村の鎮守様であるなど、それぞれ個性的な歴史を持っています。
この「黒浜の久伊豆神社」は、伊豆島・笹山・南・新井・馬場・宿下・宿上・中野・御林・長崎第一・長崎第二の各地区から選出の氏子総代で構成され、年間祭典を運営されております。
当神社の年間祭典は次の通りです。
●元旦祭(一・一)年始めを祝う年頭の祈願 ●初午祭(二・初午日)境内社稲荷社祭 ●祈年祭(四・十五) 春の大祭・秋の収穫祈願 ● 神幸祭(七・十四) 夏の大祭 ●神輿式(神幸祭後最初の日曜)神輿渡御 ●月読祭(九・十五) 豊作祭の祈願 ●例祭(十・九) 例大祭 ●新尚旨祭(十一・二十三) 秋の大祭・収穫奉謝 以上
"古をたずね、七っの幸せさがし"
「久伊豆神社七社めぐり」モデルコース
①江ヶ崎社→②黒浜社→③川島社→④新宿社→ ⑤閏戸社→⑥井沼社→⑦駒崎社
(江ヶ崎社から徒歩約三時間)
平成十八年一月吉日 はすだ観光協会 |
神社・お寺情報 |
蓮田市指定有形文化財 建造物
黒浜久伊豆神社本殿
昭和五十八年四月一日指定
黒浜久伊豆神社は、室町時代の享禄年間(一五二八年頃)に騎西町の玉敷神社を勧請したといわれ、その祭神は大己貴命である。
流造り銅板葺の本殿は、保存状態がたいへん良く、江戸時代後期の神社建築の様式がよく分かる貴重な資料となっている。また、その一部に施された彫刻も優れた作風を示すものである。
この流造りというのは神明造り・大社造りなどといった神社建築の中で、正面の屋根だけを長く伸ばすもので、全国の神社に多く見られるスタイルである。
本殿の大きさは、幅二m、奥行き一・八m、五段ある正面階段は、幅二m、奥行き一・六五mを測り、その基礎は、江戸時代後期の亀腹式の礎石である。
平成十五年七月
蓮田市教育委員会 |
例祭日 |
●元旦祭(一・一)年始めを祝う年頭の祈願 ●初午祭(二・初午日)境内社稲荷社祭 ●祈年祭(四・十五) 春の大祭・秋の収穫祈願 ● 神幸祭(七・十四) 夏の大祭 ●神輿式(神幸祭後最初の日曜)神輿渡御 ●月読祭(九・十五) 豊作祭の祈願 ●例祭(十・九) 例大祭 ●新尚旨祭(十一・二十三) 秋の大祭・収穫奉謝 |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】ムンク
【
最終
更新日時】2022/03/13 08:59:53
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