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基本情報
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住所 |
東京都足立区花畑5-10 |
五畿八道 令制国 |
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アクセス |
東武伊勢崎線谷塚 徒歩13分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
木花咲耶姫命 |
創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
浅間神社(花畑5丁目10) 江戸時代、花又村には浅間社が2社ありました(「新編武蔵風土記」)。この2社は、1871(明治4)年に合併され、1社となりました(「神社明細」)。このあたりは、現在、日本住宅都市整備公社の団地が整然と立ち並んでいます。1960〜70年代までは、見渡す限りの田んぼで、その中に小さな塚があり、その上に石造祠の浅間社があるところから、「野良浅間」と呼ばれていました。祭神は、木花咲耶姫命です。 1735(享保20)年に建立され、その後、度々補修されてきた鳥居には、旧花又村の會組、前通、堤根、仲組のヨズシ名が刻まれており、ヨズシを中心に信仰されてきたことがうかがえます(右頁「花又村のヨズシ」参照)。中西義衛さんによれば、戦前の頃、仲組では当社境内にあった池に作った竹の支えに、わらの大蛇をかけ、稲わらを燃やしておたきあげと称し、20人程の代表が「コノハンサクヤヒメ」の祝詞を唱えて雨乞いをしたといいます。 創建伝承 野良浅間の創建には次のような言い伝えがあります。もともと綾瀬川と毛長川の合流地点付近、いまの大鷲神社の裏手にあったといわれています。康平年間(1058〜1065年)末、村人が大鷲神社を祀る場所を、その野良浅間の真南直前に決めましたが、大鷲神社の信仰が高まるにつれ、野良浅間を詣でる人が次第に少なくなっていきました、そんなある夜、嵐と共に忽然と神社が消え、村人が驚いて探すと、南西の富士山の方向に点々としたたった血がつづいていました。そして、野良の中の小さな塚の上に浅間社のご神体が安置されていました。これを見た村人は、浅間神社の前に鷲明神を建てたので、木花咲耶姫が、浅間の本社である山に向って逃げようとし、その無念の血痕を残したのだと語り合い、この地にご神体を奉祀し、その霊を慰めました。それ以後は災難水禍がなくなったといいます(足立史談会編「足立区史跡散歩」学生社、1992年)。(「ブックレット足立風土記花畑地区」より) |
神社・お寺情報 |
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例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】shikigami_h
【
最終
更新日時】2020/01/25 21:30:14
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