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基本情報
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住所 |
東京都北区赤羽北1-6-2 |
五畿八道 令制国 |
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アクセス |
埼玉高速鉄道赤羽岩淵 徒歩8分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
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創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
江戸時代、ここには袋村の郷蔵(ごうぐら)がありました。郷蔵は年貢米の保管や凶作に備えて穀物を保管しておくための倉庫です。
嘉永3年(1850)8月の村絵図によれば、敷地内には蔵と建物の背後に杉の立木が描かれています。この絵図に関する古文書によれば、これは火事を防ぐための火除(ひよけ)の立木であると書かれています。また、このときの村明細帳によれば、郷蔵は「籾稗貯穀囲蔵(もみひえちょこくかこいぐら)」と呼ばれ、籾八斗三升一合と稗三十六石八斗五升が貯えられ、このほかに稗四十四石の積立計画が領主の命によって実施されていました。これによって、ここは年貢米の保管というよりは、どちらかというと災害や飢饉の際に、村の人々が飢餓から自分達を守る備荒貯穀(びこうちょこく)を目的とした郷蔵だったことがわかります。
現在、ここには大正7年(1918)3月に建立された石造の鳥居と一対の狐像があり、「ゴクライナリ」とよばれる稲荷社の社地となっています。「ゴクライナリ」という名称は、郷蔵の「ゴウ」の「ウ」が詰まって発音されたり、あるいは、「御蔵」ともいう郷蔵の「御」を「オ」といわずに「ゴ」と言った結果とも考えられます。稲荷社は「守倉」稲荷と称されていた時期もあり、また、現在は、「穀蔵」稲荷と称されていますが、これらも「ゴクラ」と読まれており、かつては、ここが郷蔵であったことを示唆しています。 |
神社・お寺情報 |
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例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】ロビン
【
最終
更新日時】2021/08/23 21:23:29
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