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★★★★ 参拝日:2024年9月7日 15:15
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住所 | 香川県三豊市詫間町詫間1376 |
五畿八道 令制国 |
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アクセス | JR予讃線詫間 徒歩24分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0875-83-3009 |
FAX番号 | |
公式サイトURL | https://namiuchigu.jp/ |
御祭神 | |
創建・建立 | 推古12年(604年) |
旧社格 | 郷社 |
由来 | 浪打八幡宮の由来を詳しく調べてみると、文武両道に優れた31代天皇である敏達天皇の皇子である高村親王が、その勇気と優れた人柄を見込まれたことから、敏達天皇の命令で東国の夷狄退治(いてきたいじ)に向かい成果を挙げ、続いて推古天皇の勅命で南海の大乱を平定させ、その後は讃岐三野郡詫間に御殿を造営し、安居されていたことに遡ります。 推古12年(604年)8月14日の夜、高村親王は夢の中で高波の中に浮かぶ光る物を見つけ驚き、それを手に取るとその金色の木像がこう話しました。 「我は敏達天皇(父)が彫った八幡神で、敏達天皇崩御(585年)の後、内裏の宝蔵の中に納められ誰にも見向きされなくなってしまった。 この度は子孫である高村親王を懐かしく思い、難波の港より青々たる海を移動して詫間の入江にやってきた。これから先はこの地に留まろうと思う」とのことであった。 親王はこの託宣に驚き、八幡神を浪打八幡宮の主祭神として祀ることを都(推古天皇)に進言、詫間荘の霊験あらたかな守護神として祀られることになった。 また、高村親王は浪打八幡宮の建立に合わせて、都より中臣氏の宿禰(すくね)職である宝寿彦を別当として呼び寄せ、敏達天皇がお造りになった八幡神像を大切に安置してお祀りした」 (波打八幡宮ホームページより) |
神社・お寺情報 | |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | 未登録 |
更新情報 | 【
最終
更新者】ひろちゃん 【 最終 更新日時】2022/03/09 18:19:31 |