みんなの御朱印
自分の御朱印
まだ御朱印が登録されていません
みんなの参拝記録
0
103
0
123
0
145
自分の参拝記録
まだ参拝記録が登録されていません
みんなの動画
自分の動画
まだ動画が登録されていません
基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 |
埼玉県秩父市中宮地町41 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
秩父本線秩父 徒歩11分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
|
FAX番号 |
|
公式サイトURL |
|
御祭神 |
|
創建・建立 |
|
旧社格 |
|
由来 |
境内碑
宮地身扶稲荷神社社殿参集所修新築記念
宮地身扶稲荷大神は、四百有余年の昔、当宮地村に住した鉢形城主北条氏邦の家臣、浅見源五郎を祖とする。浅見家の守護神としてこの地に鎮座し、その名を浅見稲何又は腰田稲荷と称し、江戸中期宝暦、天明年間より近隣の人々の崇敬を集めてきた。くだって浅見数五郎の代、明治中期に当地の今井長四郎に、みやしろ並びに祭事一切が移管され、更に大正九年、当地の斉藤清作以下六十六名の有志に移管の変遷を経て、この人々とその子孫がこれを受継いできた。昭和十六年大東亜戰爭勃発に伴い戰勝祈願、武運長久、家内安全等御神德に肖らんとする人々の信仰心はとみに高まり、爾来地元隣組の人々の奉仕で、年々歳々盛大な祭祀が営まれるに至った
たまたま昭和五十三年春、名称を宮地身扶稲荷大神と改めたのを機に、老朽化した上屋と参集所修新築の気運が盛上り関係者一同の総意により山崎 睦を長とする建設委員会を設立し、崇敬者各位から貴重なる浄財の御寄進を仰ぎ、この大事業着工の運びに至る、折しも浅見数五郎の曾孫、誠一が祖父(宮匠)宗五郎の代より建築を業としている事もあって上屋御奉納の申出あり 同氏に設計施工を委嘱、従来の上屋を社殿形式に変更し、ここに着工以来五年の歳月と多大なる浄財を費して、二軒、出三斗組、縋破風向拝付の荘厳なる社殿と参集所の竣工並びに神域の整備を完成し社頭の尊厳を一新するに至った。ここに畢世の事業完成を機に記念碑を建立し御賛助、御奉納者の御芳名を別彫し後世に伝えるものとする
撰文 山崎榮
書 猪野武四郎
昭和五十九年十月二十一日建立 |
神社・お寺情報 |
御神燈 寶曆九己卯年(1759) |
例祭日 |
|
神紋・寺紋 |
未登録
|
更新情報 |
【
最終
更新者】ねこチャリ
【
最終
更新日時】2022/10/09 13:19:59
|
※神社やお寺など日本文化の専門企業が算出している日本唯一のオリジナルデータですので、ご利用になりたい法人様やマスコミの方々は
こちらよりお気軽にご相談ください。
近くの神社・お寺
近くのお城
神社・お寺検索
※は必須です
※「神社・お寺両方」を選ぶと、一度に全て検索ができ大変便利です。プレミアム会員限定の機能となります。登録は
こちら。