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基本情報
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住所 |
埼玉県入間郡越生町小杉641 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR八高線越生 徒歩37分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御本尊 |
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宗派 |
曹洞宗 |
創建・建立 |
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由来 |
太田道真退隠の地
境内掲示板
建康寺 越生町小杉
関東管領上杉家一族の扇谷上杉家の家宰として、関東にその名を馳せた名将太田道真は、息子の道灌とともに江戸城、岩付城、河越城を築いたのち、越生に本拠を移した。ここ大字小杉字陣屋付近が、道真の居館自得軒の跡地と推定され、「太田道真退隠地」として埼玉県の旧跡に指定されている。
文明十八年(一四八六)六月、道灌は友人万里集九を伴って道真のもとを訪れた。万里の詩文集『梅花無尽蔵』には、その折に詠じた次の七言絶句が収められている。
稀郭公(ほとどきす稀なり)
縦有千声尚合稀(縦へ千声ありと云へども尚合ふは稀なり)
況今一度隔枝飛(況や今一度枝を隔てて飛ぶをや)
誰知残夏似初夏(誰か知らん残夏初夏に似たるを)
細雨山中聴未帰(細雨山中に聴いて未だ帰らず)
翌七月、道灌は相模国糟屋(神奈川県伊勢原市)で主君上杉定正に謀殺され、自得軒が父子最後の対面の場となった。道真は道灌の菩提を弔うため越生山建康寺を開いたという。
門前に架かる道灌橋の対岸には、道灌が調馬した馬場があったと伝わる。また、堰と導水路の跡が遺る水車「才車」の「才」は城塞(城砦)の塞(砦)に由来するとの説もある。
令和二年四月三十日
越生町教育委員会 |
神社・お寺情報 |
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例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2025/06/14 20:19:22
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