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基本情報
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法師が、京都比叡山に学びし時に、後醍醐天皇から観音像を賜わったが同天皇の皇子、護良親王の死を悲しんだ、親王にお仕えした南の局が泉応院より観音像をゆずり受けて祭ったのが始まりで、当時は山の西に草庵を建て根光寺といいました。
根光寺は南朝方に関係があるということで足利氏ににらまれて、誰かが本尊を沼に投げ捨ててしまいました。
正長元年に越名の漁夫の網にかかり阿武塚沼のほとりに安置されてありましたが、阿曽沼城の殿様に毎夜観音様が夢枕に立ち、西の岩山に帰りたいと告げたので、永享三年に富岡の岩山に移して引地山日向寺観音堂となりました。
天正十三年に小田原勢に攻められ防戦の時に焼失し、元和三年に再建しその後寛政十二年十一月十五日に久保町よりの出火で再び類焼してしまったのを、南の局にゆかりのある関根弥惣清則が二十五年の歳月と私財を投じて
文政七年に山の東側に東向きの五間四方のお堂を建立して、現在に
至りました。
佐野板東三十三箇所1番
詠歌に「無量なる大慈の阿みの引地山 もらさですくふちかい頼母子」(詠み人知れず)
安産・子育てにご利益があるという観音像は、33年に一度御開帳される。近年は平成20年(2008年)に行われた。

【 最終 更新日時】2021/01/23 00:35:21
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