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基本情報
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住所 |
北海道北広島市北の里139−2 |
五畿八道 令制国 |
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アクセス |
JR千歳線北広島 徒歩43分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
八幡大神(応神天皇) |
創建・建立 |
明治二十四年 |
旧社格 |
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由来 |
この地域の入植は明治十七年の広島県人の集団移住の二十五戸の中、岸本権平、久保武右右エ門、木村為次郎の三戸が和田郁次郎らの輪厚川周辺から離れ、三キロ北のホロンベツ川《現裏の沢川》南岸に入植し、同十九年には福井県より南川茂作、三上半右エ門、三上勇吉、山崎安兵衛、加藤利作ら五戸が入植するなど、明治二十二年には官費で江別道路が開通した頃には既に十数戸を数え年々増加した。 明治二十四年に開拓者らが心の拠り所として神社建設を計画し、岸本兼太郎、加藤利作、三上半右エ門、宮越仁松、植田健太郎らの有志が中心となり、御神体を新田寿助が故郷の岩手県の八幡宮より開拓の守り神として御分霊を受け、ホロンベツ川沿いの現在地に安置して神社を建立し奉斎したものである。 その後老朽化するに従って、幾度か社殿の修復や鳥居の建て替えなどを繰り返してきたが、昭和五十九年に至り老朽甚だしく地元住民から神社新築の声が持ち上がった。 これを受けて岸本兼一、渡辺忠、畑野信雄、下河原省司が中心となり、神社再建委員会を組織して地域の浄財を集め規模、構造、費用など算定し大正二年に新築した広島神社の本殿を譲り受け神殿とし、拝殿を新築して同六十年に完成した。 以後地域も都市化されてきたが、地域の守り神として、祭祀を続けて現在に至っている。 (「北広島市内の地域の神社を尋ねて」より) |
神社・お寺情報 |
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例祭日 |
秋分の日 |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】ひろちゃん
【
最終
更新日時】2021/03/24 21:17:13
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