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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 |
北海道虻田郡喜茂別町比羅岡33 |
五畿八道 令制国 |
不明 |
アクセス |
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御朱印授与時間 |
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
阿倍比羅夫 |
創建・建立 |
大正二年 |
旧社格 |
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由来 |
大正二年(一九一三)史跡台(留産・村有地)に創建された。この創建は、河合篤叙(かわいあつのぶ・初代倶知安郵便局長・教育家)の意見によるものであった。その後昭和六年に円山高丘地(上目名)に奉遷(社殿改築)した。明治三六年(一九〇三)、農場経営(当初・牧場)のため上目名に入植した稲村道三郎は河合と意気統合し、河合の阿倍比羅夫を祭神とする神社創建の意見を入れて、その実現を期したものであった。 旧伊達藩亘理の家老で伊達開拓の功労者である田村顕充(たむらあきまさ)と河合の交流も背景にあった。 昭和四一年道路改修時、社殿建立の従来の位置から西寄りの低地へ新社殿を建立した 。 (社殿掲示「比羅夫神社の歴史」より) |
神社・お寺情報 |
社前「喜茂別町・旧跡のしるべ」掲示板より 「659(斉明5)年阿倍比羅夫が蝦夷侵攻の際、後方羊蹄(しりべし)を政所(役所)とし、郡領を置いた、と『日本書紀』に記
されているが、これは史実として立証されていない伝説に近いことと思われる。しかし幕末の探検家松浦武四郎は、日本書紀の記事内容から着想を得て『後方羊蹄山は、政所の古址(こし)である』と唱えました。1900(明治33)年、それを受けた河合篤叙が発掘調査を行いこの地が政所所在地であると主張し、1913(大正2)年、地元の有力者であった稲村道三郎に呼びかけて比羅夫神社を留産原野の史跡台に創祀したとされている。その後、1931(昭和6)年に丸山頂上付近に移築され、1966(昭和41)年に現在地に移された。」 |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】ひろちゃん
【
最終
更新日時】2021/06/06 17:00:10
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