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基本情報
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住所 |
埼玉県秩父郡小鹿野町両神薄8240向い |
五畿八道 令制国 |
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アクセス |
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御朱印授与時間 |
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
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創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
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神社・お寺情報 |
境内掲示板
諏訪大明神の夫婦杉
諏訪社(祭神・タケミナタカ)は、「狩猟の神」「農耕の神」「武の神」と言われ、全国に沢山あるが、秩父地方の多くは、中村氏、薄氏など、丹党一族の氏神として祀られた。
鎌倉時代以前から室町時代後期にかけて、現在の国民宿舎両神荘の地には、丹党薄氏の館があった。
日影地区も薄氏の勢力下にあり、この諏訪大明神もその関係で建立されたものと思われる。
丹党·薄氏は、西暦一五二〇年頃にはこの地から転出するが、諏訪大明神や社殿前の夫婦杉(めおとすぎ)は、後継の一族や地域から大事にされ、今日に至っている。
夫婦杉の樹高は、三六mと三一・五m。 胸高周囲は、四・三六mと三・四〇mであり、樹齢は五〇〇年を超えると推定される。
諏訪大明神 氏子中
青石板碑(室町・南北朝時代)
青石とは緑泥変岩のことである。
板碑は中世特有の信仰・文化遺産であり、重要な文献資料でもある。 鎌倉時代初期から室町時代末期まで全国的に建立された。
秩父産の青石板碑は、丹党・岩田氏の所領であった現在の長瀞町野上地区で生産・加工・搬出された。
一三三六年、楠木正成らは、湊川の戦いで足利尊氏に敗れ、後醍醐天皇は吉野に南朝政権を開く。正成の一族には、両神薄へ落ちのびたものがおり、黒沢姓を名乗った。やがて、藤差(ふじさす)地区に移り住むが、家名を復活させるのは、ずっと後のことである。
この板碑(塔婆・とうば)には、貞治五年(北朝の年号で一三六六年)と阿弥陀三尊を表す梵字が刻まれている。
日影地区に建立されたこの青石板碑に込められた思いは何か。それについては、様々な推察が出来よう。
諏訪大明神 氏子中 |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】まっきー
【
最終
更新日時】2022/10/09 12:36:35
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