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基本情報
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住所 |
埼玉県南埼玉郡宮代町百間1093 |
五畿八道 令制国 |
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アクセス |
東武伊勢崎線東武動物公園 徒歩8分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
宇迦之御魂神 |
創建・建立 |
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旧社格 |
旧村社 |
由来 |
境内掲示板
南埼玉郡宮代町百間一〇九二鎮座
蓮谷稲荷神社
祭神 宇迦之御魂神 (穀物の神)(稲の精霊)
縁起
旧蓮谷村は古利根川右岸に位置し、南部には姫宮落川が流れ、台地と低地が複雑に入り組んだ地形である。当社の鎮座地は姫宮落川の北の辺りの低地で、現在は東武動物公園の駐車場や民家に囲まれているが、かつてこの地は笠原沼を開拓した水田地帯であった。
当社は「風土記稿」蓮谷村の項に「稲荷社 村の鎮守なり、村民持」とあり、その創建については二つの説がある。
一説は口碑によるもので、豊臣家の家臣であった加藤外記(加藤壽一家の祖)が大阪城落城の後、京都の伏見稲荷神社の分霊を自らの守護神として受け、当地まで落ち延び帰農して開拓するに当たり、その守護神を作神として祀ったという。もう一説は「明細帳」によるもので、元禄三年(一六九〇)に伏見稲荷神社の分霊を遷し祀ったという。村の草分けである加藤家の子孫は、江戸時代を通じて村の名主であった。当社は初め加藤家の氏神として江戸の初期に創建されたが、その後、村人から厚く信仰されるようになったため、村の鎮守として祀るために元禄三年に再勧請されたのであろう。当社は更に明和三年(一七六六)に名主の加藤平右衛門が願主となり、伏見稲荷神社から「正一位稲荷大明神」の神璽を拝受した。当社は明治六年に村社に列した。
信仰
祭事は元旦祭、二月の初午祭、七月二十二日の例祭、十月十九日のお日持の年四回である。初午祭は昭和三十年頃までは三月に行われていた。その当時は小学生の子供たちが朝から各戸を回り「油っこください」と言ってお金を集め、灯油の油、お供え、食料を買い、神前に明かりを灯し、「お籠り」と称して拝殿に一晩泊まり込んだ。翌朝は朝早くから大人たちが参拝し、赤飯や五目飯を供え、子どもたちはそれを食べて学校へ行った。現在は火災等の心配から行われていない。
平成二十三年辛卯歳初午 姫宮神社成田稔謹書 |
神社・お寺情報 |
境内碑
新築記念
蓮谷稲荷神社の創建年代は詳かでないが樹齢凡そ五百年の神
木があった事でも古くから当地の鎮守であったと推定される
明和三年に神階を授けられたが旧社殿はその頃の建設であろ
う之は年を経たので朽損しておった たまたま境内の巨松が
枯損した際に之を資材として改築の議が起り氏子一同が協賛
して数年間資金を蓄積し労力を奉仕して遂に総工費金五拾萬
圓を以て瓦葺の神殿拜殿を完成し旧観を一新した之は神徳の
加護によって平和な郷土を築こうとする努力の結晶である
工事は総務鈴木清吉吉岡勇吉会計加藤佑輔補佐加藤旭委員
加藤平次郎加藤豫鈴木相三が担当した 茲に父祖三代に亘り
て奉仕する宮司服部誠一欣然文を作りて書く
昭和三十一年二月 |
例祭日 |
元旦祭、二月の初午祭、七月二十二日の例祭、十月十九日のお日持 |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】ロビン
【
最終
更新日時】2024/01/12 20:42:18
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