みんなの御朱印
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Y.1966.Sさん
2022年1月20日 00:00
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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 |
鹿児島県いちき串木野市浜ヶ城12505 |
五畿八道 令制国 |
西海道 薩摩 |
アクセス |
JR鹿児島本線串木野 徒歩6分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
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創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
1.西暦1800年串木野の郷土、宮之原利右衛門が藩主『島津義広』公に従い、関ヶ原の合戦 (1600年9月)に 出陣に先立ち身の武運長久を祈るため霧島神社に参じその分身を持して我が家に祭祀した。(現在の春日町✱✱春田病院西側付近といわれる)
2 その後、宮之原利左衛門の代(1846年頃?)になって、高い所に安置した方が良いと言うことになり、 浜ヶ城 の現在の所にされた。
3.以来この神社は、霧島神社と呼ばれ浜ヶ城集落民の守護神として毎年旧暦6月19日に、 祭祀と、豊年を祈る六月燈がおこなわれ、秋には神田 (面積1アール = 1畝 ) 新米で作られた甘酒をかこみ豊施が行われた。 この神田は集落の特回りで耕作され戦後まであったが、 鹿児島物産工場(現在のAコープ)の建設で埋没した。このため現在は祭祀と六月燈が行われ、児童会がお神輿を担ぎ公民館内を練り歩いている。
4.また戦争中は「武運」の神様として武運長久を祈する関係者の参詣が絶えなかったが、平和が続く現在では忘れかけている。
5.昭和39年に神社の用地(面積416㎡=126坪) 浜ヶ城集落の共有地となった。
6.昭和41年に、社は老朽化のため、取り壊して売却したので現在は御神体だけが残されている。このあと、杉の植林が行われ、現在の杉林となっている。
7.昭和53年にこの杉林の間伐が行われ、54年にこれまでの神社関係の基金 (22,448円) を公民館の会計に繰り入れた。昭和56年青壮年の方々の奉仕によって、燈籠類等の清掃と復元がなされた。
(境内説明版より転記) |
神社・お寺情報 |
地図の記載位置はズレています。 実際の位置にマークを移動しています。 |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】Y.1966.S
【
最終
更新日時】2021/10/26 21:16:28
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