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基本情報
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お稲荷さまの創建についてハッキリしたことは分からないのですが、元禄十年(1697)一月野火のため社殿を焼失し、同十三年(1700)二月二十八日に再建したという記録があるので、それ以前であったことは確かです。
このお稲荷さまには、次のような伝説が残されています。
昔、松田村(松田町)と板倉村(板倉町)の間に、境界をめぐって大論争が起きました。
地形上これといった目印もないので、この論争は決着がつきません。
あわや一色即発、血の雨が降りそうな険悪な状態にまで発展してしまった時、村人の一人が「どうだろう。お稲荷さまに伺いをたててみたら」と提案したところ、皆もそれに賛成しました。
早速、両村の代表が打ちそろって稲荷山に登り、事の次第を告げてお祈りしました。
するとどうでしょう、社殿の裏手にある大岩が大きな音をたてて二つに割れ、ハッキリと境界を示したのです。
両村の代表は、今後二度とこのような騒ぎを起こすまいと誓い合い、その境界の目通し、お稲荷様と反対側になる街道の西にお宮を祀り、大岩の割れ目とお宮を結ぶ線を両村の境とすることにしました。
境界を示した大岩は今も残っています。おそらく20トン以上もあろうと思われる大きな岩で、真ん中あたりから二つに割れ、その割れ目から樫の大木が聳えています。
街道の西側に建てられたというお宮は、第18分団から少し南に寄ったあたり、道路から30mぐらい入ったところにあって、「境宮神社」と呼ばれています。

【 最終 更新日時】2022/02/13 02:40:44